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中村草田男を読む101〜110(『火の鳥』41〜50)
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句集『火の鳥』 |
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居りながら居ぬといふ家冬薔薇蹴る
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1939年
38歳 |
鑑賞日
2006/1/31 |
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滑稽感もあるし、人間が描けていると思う。いわゆる居留守であるが、蹴ったのが「冬薔薇」であるのがさまざまな寓意を含み得るので、そんな人間観察心も満足させてくれるものがある。 |
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句集『火の鳥』 |
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金魚手向けん肉屋の鉤に彼奴を吊り
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1939年
38歳 |
鑑賞日
2006/2/1 |
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草田男の年譜によると、昭和十三年の項に「・・ ある友人のため金銭問題の累を及ぼされ、一年余も心労する。」とある。昨日の句も今日の句もそのような事に関連した句ではなかろうか、と推測する。 |
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句集『火の鳥』 |
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世界病むを語りつゝ林檎裸となる
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1939年
38歳 |
鑑賞日
2006/2/2 |
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よくある場面であるが、この句の上手いのは「林檎裸となる」であろう。単に「林檎むく」では凡庸な句となる。「林檎裸となる」で自然の瑞々しさや健康さが出て眩しい。そしてそれが「世界病む」という状況と対峙して効果抜群である。 |
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句集『火の鳥』 |
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息白じろ女騙されかけ居るらし
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1939年
38歳 |
鑑賞日
2006/2/3 |
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「息白じろ」という冬の季語と「女騙されかけ居るらし」という事実が波動のように呼応してその場の雰囲気が伝わってくる。 |
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句集『火の鳥』 |
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鶯や友眞直ぐに獄ゆ出で来し
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1939年
38歳 |
鑑賞日
2006/2/4 |
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いかにも政治犯という感じで、自分の信念を貫いた清々しさが出ている。そしてこれからも自分の道を進もうという満ち足りた気分がある。「鶯」の歌声が彼の気分を表しているかのようだ。 |
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句集『火の鳥』 |
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蟆子を打つ信に過ぎたる愚か者
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1939年
38歳 |
鑑賞日
2006/2/5 |
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「信に過ぎたる愚か者」とは全くそうである。そしてこの教条的な言葉を「蟆子を打つ」という言葉が俳句の味にまで高めている。どこか、自分自身のことを客観的に言っている感じもある。 |
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句集『火の鳥』 |
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峰鶯谷鶯へ四肢投げ出す
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1939年
38歳 |
鑑賞日
2006/2/6 |
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自然の中でのリラックスした動作が眼に浮かぶ。それと同時に、分けの分からない人間社会と違って自然はいいなあ、この瞬間だけでも自分の身を自然にドサッと任せよう、という気分であろうか。 |
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句集『火の鳥』 |
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萬緑の中や吾子の齒生え初むる
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1939年
38歳 |
鑑賞日
2006/2/7 |
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この句によって「萬緑」という季語が季語として定着したのだそうである。確かに良い句である。緑に覆いつくされた生命力に満ちた季節の中、自分の子供の歯が生え出したという喜ばしい事柄を高らかに歌っている。 |
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句集『火の鳥』 |
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遍路脱ぐ今日のよごれの白足袋を
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1939年
38歳 |
鑑賞日
2006/2/8 |
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「あぶないかなあ」と思いながらも頂いた。もう少しで演歌や浪花節と同じ雰囲気になってしまいそうであぶないのである。 |
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句集『火の鳥』2 |
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蒲公英のかたさや海の日も一輪
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1939年
38歳 |
鑑賞日
2006/2/9 |
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いやな予感がする。私は草田男の句を全部ざっと読んでから一句一句吟味しながら観賞しているのであるが、ざっと読んだ限りでは後年の草田男の句はつまらなくなる。心意を表現しようとするあまり散文的説明的あるいは素材に凭れた書き方になって行くような気がするのである。 掲出句を選ぶ前にだいぶたくさんの句をとばしたのであるが、そろそろつまらなくなる予兆を感じてしまうから「いやな予感」と書いたのである。 玉虫の熱沙掻きつゝ交(さか)るなり 掲出句はさっぱりとした良い句である。早春の季節がまだ固い感じが詩として感じられる。 |
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