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中村草田男を読む131〜140(『萬緑』6〜15)
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句集『萬緑』 |
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霧を歸る五尺背並みのダンサー達
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1939年
38歳 |
鑑賞日
2006/3/2 |
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「五尺背並み」と一つの特徴を捉えて全体の映像感や彼女達の暮らしぶりのようなものまで感じられるというのは不思議なことである。もちろん「霧を帰る」という季語も効いている。ちなみに五尺というのは約165センチである。 |
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句集『萬緑』 |
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歸りつゝ去りつゝあらん炭火細る
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1939年
38歳 |
鑑賞日
2006/3/3 |
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ある人、しかも大事に思っている人との別れの気持ちが「炭火細る」という表現で万感伝わってくる。この、ある人というのは次の句で弟だと分かる。 |
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句集『萬緑』 |
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目刺の色弟が去りし鐵路の色
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1939年
38歳 |
鑑賞日
2006/3/4 |
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無理のない譬えと、弟への情をからませてやはり上手い。 |
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句集『萬緑』 |
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亡き夫人智恵子の色繪冬爛漫
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1939年
38歳 |
鑑賞日
2006/3/5 |
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高村光太郎を訪ねた時の句である。光太郎夫人の智恵子はとても素敵な色絵をつくる。それだけで取りたくなった句である。智恵子の色絵二枚
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句集『萬緑』 |
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少年の見遣るは少女鳥雲に
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1940年
39歳 |
鑑賞日
2006/3/6 |
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〈見遣〉は[みや]とルビ どうしても一枚の絵のように見えてくる。意味の青春性や物語性を越えて絵画性が強い。それだけ造形的に優れた作だと言えるのではないか。 |
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句集『萬緑』 |
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虹に謝す妻よりほかに女知らず
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1940年
39歳 |
鑑賞日
2006/3/7 |
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何だか眩しいような、初々しいような、照れ臭いような、それでいて取らざるを得ない句である。こんなことを書くのは草田男の幼児性であり、妻への甘えであるような気がする。結局草田男は直子夫人の掌の上で遊んでいたに過ぎないとさえ思えてくる。しかし嬉々としてこのように書くというのは眩しさもあり、小さな意味で正直ではある。 |
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句集『萬緑』 |
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乳母車から指す夏の親子星
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1940年
39歳 |
鑑賞日
2006/3/8 |
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谷内六朗の世界。ネットで探してみた。内容は会わないが一枚
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句集『萬緑』 |
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梅雨の樂たゞ人の子よ人の子よと
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1940年
39歳 |
鑑賞日
2006/3/9 |
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「人の子」すなわちイエス・キリストのことであろう。だから「樂」というのは受難曲というようなものだと想像する。「梅雨の樂」というのが雰囲気を出している。 マタイ受難曲第53曲コラール |
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句集『萬緑』 |
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館音なし青蔦一つ缺いて通る
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1940年
39歳 |
鑑賞日
2006/3/10 |
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館は[やかた]と読むのであろう。上手い句である。上手い句というのは自分もそのような経験があったような錯覚を覚えるのが不思議である。 |
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句集『萬緑』 |
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汗と笑巨犬を撚ぢ倒さんとする
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1940年
39歳 |
鑑賞日
2006/3/11 |
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力自慢の者が汗を掻きつつ笑いつつ大きな犬を撚ぢ倒そうとしている。遊び心のある力自慢である。そう言えばこのような人物は居るものであるなあというほほ笑ましさがある。 |
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