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中村草田男を読む141〜154(『萬緑』16〜29)

141/banryoku 16

句集『萬緑 
昭和十五年 

妻戀ふや黍の戰ぎ葉双肩に
1940年
39歳
鑑賞日
2006/3/12

 〈双肩〉は[もろかた]とルビ

 『火の鳥』の「妻抱かな春晝の砂利踏みて歸る」ほどの焦燥感、エネルギーの満ちた感じはないが、この句も愛欲と自然界の事物が響き合う。愛欲としての現われでもある自然物という感じも同時にある。

http://www.josei.com/sial/nougyo/zakkoku1-3.htmより転載させて頂きました


142/banryoku 17

句集『萬緑 
昭和十五年 

大いなる三日月東に母子跼む
1940年
39歳
鑑賞日
2006/3/13

 大きな景であり、メルヘンでもあり、聖書の世界をも連想させる。ルオーの絵を一枚



George Rouault
Bella Matribus Detestata (Wars, Dread of Mothers)
Plate 42 for the Miserere. Mixed Etching, c.1927
23-1/4 x 17-1/2"

http://www.artline.com/associations/ifpda/
ifpdafair/ifpdafair2002/exhibitors/
Davidson_Galleries/


143/banryoku 18

句集『萬緑 
昭和十六年 

玉菜は巨花と開きて妻は二十八
1941年
40歳
鑑賞日
2006/3/14

 草田男はその妻と十二歳も離れていたのかと改めてびっくりした。
 若くて初々しかった妻も子を産み母として女性として人間として成長してきたという感慨だろうか。女性としての人間としての妻への愛、そして畏敬の念も感じられる。
 ちなみに玉菜とはキャベツのこと。


144/banryoku 19

句集『萬緑 
昭和十六年 

教へ兒とかたまり撮る霜眞白
1941年
40歳
鑑賞日
2006/3/15

 〈撮〉は[うつ]とルビ

 「霜真白」というのがいかにも草田男の気持ちを表している。家族への愛も強かった草田男だが、教師として教え子への愛情も強かった感じである。「霜真白」に象徴されるようにかなり理想主義的に接していたのではないかなどと推察する。一時代前の教師と教え子の姿が偲ばれる句である。


145/banryoku 20

句集『萬緑 
昭和十六年 

野の男外套胸より吹かれ開き
1941年
40歳
鑑賞日
2006/3/16

 この句を読んだときに宮沢賢治の次の写真が思い浮んだ

 宮沢賢治は一八九六年〜一九三三年の人だから、草田男も知っていたはずだし、その童話性や理想主義的なものでも草田男と似通っている。草田男がこの写真を見てこの句を作った可能性は大である。


146/banryoku 21

句集『萬緑 
昭和十六年 

少年老いぬ芒の土手の制札よ
1941年
40歳
鑑賞日
2006/3/17

 広辞林によると「制札」とは・・一般に知らせる禁止事項や伝達事項を書いて、路傍などに立てておく札。たてふだ。 ・・とある

 この感じ方がよく解るので頂いた。社会的ないろいろな締め付けの中で少年の夢はしぼんでいってしまうという事である。昭和十六年という戦争への足音が聞こえてくるような時代を考えればさらによく解る句である


147/banryoku 22

句集『萬緑 
美ケ原行
(昭和十五年八月) 

山の娘の泳ぎやめしづかに流る
1941年
40歳
鑑賞日
2006/3/18

 この句の前に次の二句がある

肩一つ高めて山の娘が泳ぐ
山かげ雲かげ千々に泳げる黒髪なり

 建康で自然とともにある肉体と心、という好ましいものを感じる。


148/banryoku 23

句集『萬緑 
美ケ原行
(昭和十五年八月) 

雲海や金色に鳴る虻の目ざめ
1941年
40歳
鑑賞日
2006/3/19

 〈金色〉は[こんじき]とルビ

この句の前には次のような句がある。

雲海の彼岸の富士や今日あけつゝ
諸山(もろやま)は遠富士に添ひ朝燒くる
雲海に蒼荒太刀(あをあらだち)峰のかず

 山に登って雲海の夜明を見るというのは荘厳な感じである。しかしその荘厳な感じを言葉で表現するのは難しい。掲出句は「金色に鳴る虻のめざめ」という表現である程度成功しているのではないか。朝の雲海を見ているときの心の高鳴りのようなものが出ている感じがする。


149/banryoku 24

句集『萬緑 
美ケ原行
(昭和十五年八月) 

くるぶしの深山の花は何花ぞ
1941年
40歳
鑑賞日
2006/3/20

 〈深山〉は[みやま]とルビ

 山に登るとそこには人間世界の日常とは全く違った世界がある。その驚きの心の働きがある。この句に続く次の句なども深山での感覚が現われている感じである。

深山の花われ磔像の臥(ね)しごと臥る
人聲や小鳥の聲のみうつゝなる
嶺の虻花の蕾を押しわけ入る


150/banryoku 25

句集『萬緑 
美ケ原行
(昭和十五年八月) 

松虫草谷ゆ生ひ出し一木に觸れ
1941年
40歳
鑑賞日
2006/3/21

 生命(いのち)と生命(いのち)の触れ合い。そして山の精妙な精気。


151/banryoku 26

句集『萬緑 
美ケ原行
(昭和十五年八月) 

天地蒼きに固唾をのんで巌の鷹
1941年
40歳
鑑賞日
2006/3/22

 天地の波動が一瞬静止したような緊った密なる時間、とでも言おうか。画としても完成されている。


152/banryoku 27

句集『萬緑 
美ケ原行
(昭和十五年八月) 

崖白く鷹飛ぶ姿常に若し
1941年
40歳
鑑賞日
2006/3/23

 「常に若し」と言ったのがいい。常に若いということが自然の実相の一つの側面であるからである。


153/banryoku 28

句集『萬緑 
美ケ原行
(昭和十五年八月) 

雷の居る山となり果つ越え來し山
1941年
40歳
鑑賞日
2006/3/24

 このアニミズム的な捉え方が面白い。実際に雷がごろごろと鳴っている山は、雷達が居座っているような感じがするのである。


154/banryoku 29

句集『萬緑 
美ケ原行
(昭和十五年八月) 

秒盤の中まで夏の山月澄む
1941年
40歳
鑑賞日
2006/3/25

 〈秒盤〉は[セコンド]とルビ

 「秒盤の中まで」というのが上手い表現だと思う。これで空間の感覚だけでなく時間の感覚も捉えられてくる。また「秒盤の中」というのは自我の表象のようであり、自分の中もとても澄んでいるということを言っている気がする。

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