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中村草田男を読む171〜180(『来し方行方』17〜26)

171/koshikatayukue 17

句集『来し方行方 
昭和十九年
 

吾子等喜戯南瓜の花は民の花
1944年
43歳
鑑賞日
2006/4/15

 自分の子供たちが嬉しそうに遊んでいる、南瓜の花が咲いている。庶民感覚というか、土に近い感じというか、そんなことを言っている。


172/koshikatayukue 18

句集『来し方行方 
昭和十九年
 

蜥蜴ゆく騎士行進の四蹄の間を
1944年
43歳
鑑賞日
2006/4/16

 〈間〉は[ま]とルビ
 〈デューラーの銅版畫「騎士と死と悪魔」の俳句化。同版畫は高校生の頃より我の愛好せしもの。〉と説明がある十三句のうちの一句目

 草田男俳句がだんだん分かりにくいものになっていく一つの例としてこの連作を取り上げた。分かりにくいというのはあまりにも自分の想念にのめり込んでしまう故である。つまり俳句が自分の想念の説明になってしまっている。この連作は上記の通りにデューラーの絵の俳句化であると説明があるからそれなりに分かるのであるが・・・その連作

蜥蜴ゆく騎士行進の四蹄の間(ま)を
眼(まなこ)澄む犬馬は騎士の汗の供(とも)
夏も寒し畫面を過(よ)ぎる決意の槍
夏痩せの魍魎騎士はかへり見ず
智の蛇嗤ふ個の命數の砂時計
夏枯木死神(しにがみ)騎士の眼路(まぢ)追ひ得ず
騎士の好餌公敵夏野の果(はて)にひそむ
炎天の馬衣は緋ならめ髑髏は白
騎士は負ふ故友茅舎の露の崖を
騎士既に城に發せる清水越えぬ
地の上の夏山の上祖國の城
騎士の別れ故山は夏樹(なつき)岩に榮(さか)ゆ
名を換へよ騎士と夏山誰が世ぞ 

 ここではこの騎士に草田男自身を重ね合わせているのは明白である。ちなみにそのデューラーの版画は次である。


173/koshikatayukue 19

句集『来し方行方 
昭和二十年
 

詩人地を踏んで近よる寺の薔薇
1945年
44歳
鑑賞日
2006/4/18

 自分のことを詩人であるという自負心は結構であるが、あまり過ぎるのは良くない、前の句の鑑賞でも触れたが、独り善がりのものになってゆく可能性がある。


174/koshikatayukue 20

句集『来し方行方 
昭和二十年
 

水邊へ出てためらふ蜥蜴水へ入りぬ
1945年
44歳
鑑賞日
2006/4/19

 〈水邊〉は[みづべ]とルビ

 写生句なのであるが、何か意味を感じてしまうのである。何かぬめぬめとしたような意味である。これは多分草田男のこれからの在り方の予兆であると私がかってに思い込んでいるのかもしれない。草田男がそういう処に入り込んで行くという。草田男俳句はざっと一度通読しただけであるから、これが私の危惧であってくれればいいとは思う。


175/koshikatayukue 21

句集『来し方行方 
昭和二十年
 

百千鳥もつとも烏の聲甘ゆ
1945年
44歳
鑑賞日
2006/4/20

 カラスの声を甘いと感じた感性に共鳴した。しかも百千鳥の中で最も甘いというのは、この頃の草田男の何かの心意を感じる。


176/koshikatayukue 22

句集『来し方行方 
昭和二十年
 

落椿わが乳母島の女なりき
1945年
44歳
鑑賞日
2006/4/21

 落椿を見ながら乳母のことを思いだしている。しみじみとした時間を感じる。実際はどうか知らないが、椿→大島椿→大島という連想から、この乳母は伊豆大島の出身だったのかなどとも想像が働く。乳母の訃報を聞いて書いたとまですると、「落椿」がいかにもという感じで却って鼻につくので違うだろう。


177/koshikatayukue 23

句集『来し方行方 
昭和二十年
 

蟷螂は馬車に逃げられし馭者のさま
1945年
44歳
鑑賞日
2006/4/22

 この句の少し前に、〈終戦の大詔を拝したる日、及びそれにつぐ日日、六句〉と前書のある句がある。それを並べてみる

烈日の光と涙降りそゝぐ
切株に据し蘖(ひこばえ)に涙濺(そゝ)ぐ
空手(くうしゆ)に拭ふ涙三日や暑気下(しょきくだ)し
戦争終りたゞ雷鳴の日なりけり
陽が欲しや戦後まどかな月浴びつゝ
夜長し四十路かすかなすはりだこ 

 前二句のオーバーな表現からはじまって、すっとエネルギーがしぼんで、どうでもいいというように終っている。それにひきかえこの掲出句は直接敗戦を詠んだものではないが、戦争の愚かさを童話風の小さな世界で描いたもののような気さえするのである。草田男には社会性というものは不向きで、どちらかというと内向きな性格だったのではないか、というのが今の私の感触である。


178/koshikatayukue 24

句集『来し方行方 
昭和二十年
 

燒跡に遣る三和土や手毬つく
1945年
44歳
鑑賞日
2006/4/23

 世界中に戦争は絶えない。しかしその焼跡で子供はいつも手毬をつく。これは普遍的なことである。もちろん手毬ではなくサッカーや缶蹴りであるかもしれない。人間の愚かさ、しかし子供のエネルギーは常にある。


179/koshikatayukue 25

句集『来し方行方 
昭和二十一年
 

空は太初の青さ妻より林檎うく
1946年
45歳
鑑賞日
2006/4/24

 正に創世記の世界。そして草田男の妻俳句が冴える。草田男は亡くなる前日に洗礼を受けている。これなども「妻より林檎受く」ということに符合する。


180/koshikatayukue 26

句集『来し方行方 
昭和二十一年
 

斯かりし母よ育兒の妻よ風の柘榴
1946年
45歳
鑑賞日
2006/4/25

 母でありまた妻でもある直子夫人への言葉。「風の柘榴」という形容が見事である。

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