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中村草田男を読む181〜193(『来し方行方』27〜39)

181/koshikatayukue 27

句集『来し方行方 
昭和二十一年
 

耕せばうごき憩へばしずかな土
1946年
45歳
鑑賞日
2006/4/26

 耕している人は殆ど見えてこない。動いたり静かになったりしている土だけが見える。物を見つめそれを写生した句から出てくるその物の妙な生き物感がある。この句の場合は「土」である。


182/koshikatayukue 28

句集『来し方行方 
昭和二十一年
 

冩眞の中四五間奥に薔薇と乙女
1946年
45歳
鑑賞日
2006/4/29

 〈佐藤春夫氏に、「淡月梨花の歌」なる詩作品あり。想ふ人の幼き頃の冩眞を眺めて「かゝる頃のかゝる姿を見しぞうらやまし」との意味を詠へりと記憶す。我も亦、家妻十九歳、初めての演奏會を終へしまゝの姿にて庭隅に佇ちて撮せる冩眞一葉、そを取出でゝ眺めつゝ人の世の時の經過の餘りにも早きを歎ずる事あり。〉と前説あり

 草田男がその妻を詠んだ句には艶がある。この句も坦々と見たままを書いたものであるけれど艶がある。


183/koshikatayukue 29

句集『来し方行方 
昭和二十一年
 

たゝみ傘柄ふかく手入れ雪の母
1946年
45歳
鑑賞日
2006/4/30

 草田男の「母」俳句を集めてみた。「妻」俳句も秀逸であるが「母」俳句も思いのこもっているものが多く好感が持てる。

父の墓に母額づきぬ音もなし
はゝそはの母と歩むや遍路来る
井戸端の母が買ひけり田面樣
母が巻く目醒時計蛾の羽音
母老いぬ裸の胸に顔の影
短日や母に告ぐべきこと迫る
百日紅父の遺せし母ぞ棲む
しろ/゛\と母が前掛け羽織の前
母が家(や)に月の湯あみの我が髪膚
顧みし母が家月へ風呂煙
半月もまろき側むけ母が家(や)へ
秋富士は朝(あした)父夕(ゆふべ)母の如し
母のそばマントの中の新刊書
酷寒かなし母よと呼ばぬまでにして
蝌蚪に告ぐ吾には父亡(な)く母は疎し
たゝみ傘柄ふかく手入れ雪の母
寒ければ先行くやめて母を待つ
寒き母持物すべて胸に抱き
母がおくる紅き扇のうれしき風


184/koshikatayukue 30

句集『来し方行方 
昭和二十一年
 

三度目の夫とドライヴ案山子の道
1946年
45歳
鑑賞日
2006/5/1

 〈夫〉は[つま]とルビ

 皮肉である。この婦人にとっては夫は案山子のようなもの、というようなニュアンスがある。草田男の倫理観ゆえの皮肉。


185/koshikatayukue 31

句集『来し方行方 
昭和二十一年
 

桐一葉音たゆみなき鍛冶の音
1946年
45歳
鑑賞日
2006/5/2

 村里の情景。移ろいゆく自然の中での人間の営みにしみじみとするものがある。


186/koshikatayukue 32

句集『来し方行方 
昭和二十一年
 

戦後の一年終るよ實生のもみぢ葉に
1946年
45歳
鑑賞日
2006/5/3

 〈實生〉は[みしやう]とルビ

 「實生」とは苗で植えたのではなく種から生えた木という意味で、多分こぼれた種から生えた木であろう。その實生のもみじの葉を見ながら、終戦から一年たったのだなあということを考えている。「實生」ということに含みがあって感慨が湧く。


187/koshikatayukue 33

句集『来し方行方 
昭和二十二年
 

種蒔ける者の足あと洽しや
1947年
46歳
鑑賞日
2006/5/4

 情景もわかるし草田男の心意もわかる。


188/koshikatayukue 34

句集『来し方行方 
昭和二十二年
 

不安は不毛の烏滸の胸牌朴咲くに
1947年
46歳
鑑賞日
2006/5/12

 〈烏滸〉は[おこ]とルビ

 「烏滸」は馬鹿げていること。「牌」は麻雀用の駒などのこと。つまり、不安というものは馬鹿げた胸にしこった塊のようなものだということであろう。朴の白い花を見ているとそう思う、いやそう思おうとしているのである。


189/koshikatayukue 35

句集『来し方行方 
昭和二十二年
 

黴る日々不安を孤獨と詐稱して
1947年
46歳
鑑賞日
2006/5/13

 このあたりの心理分析は鋭い。実際、不安と孤独とは紙一重のものである。孤独というと一面立派な感じがして、不安というと女々しい感じがするが、どちらも自我に執して存在から切り離された意識の状態である。不安はまさにじめじめとして黴が生えてくるようなものである。孤独はもう少し乾いた感じであろうか。


190/koshikatayukue 36

句集『来し方行方 
昭和二十二年
 

眼前に露のくづれて花濡れぬ
1947年
46歳
鑑賞日
2006/5/14

 露の玉がその玉であることを保てなくなって、すっと崩れる。それが花にふりかかって花が濡れたというのである。この花は、私などはかなり艶やかな花を想像する。何故なら全体に自然のエロスのようなものを感じるからである。


191/koshikatayukue 37

句集『来し方行方 
昭和二十二年
 

村の路家疎になれば青胡桃
1947年
46歳
鑑賞日
2006/5/15

 既視感のある風景であり、旅人としての移動感もある。


192/koshikatayukue 38

句集『来し方行方 
昭和二十二年
 

木の下に赤子寢せあり鷹舞へり
1947年
46歳
鑑賞日
2006/5/18

 〈下〉は[もと]とルビ

 「危ない危ない」と物語を作って読むよりは、そのままの景色として眺める方が詩的な情がある。


193/koshikatayukue 39

句集『来し方行方 
昭和二十二年
 

連山の流るゝまゝに流るゝ鷹
1947年
46歳
鑑賞日
2006/5/19

 大空を雄大に滑空している鷹の姿が見える。
 多分「連山の流るゝ」というのは鷹の視点であり、「流るゝ鷹」は作者の視点であるのであろう。

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