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中村草田男を読む201〜210(『銀河依然』8〜17)

201/gingaizen 8

句集『銀河依然 
昭和二十三年
 

お下髪には落花少年の 泛子赤し
1948年
47歳
鑑賞日
2006/5/29

 〈下髪〉は[さげ]、〈泛子〉は[うき]とルビ

 「少年の見遣るは少女鳥雲に」と同じ少年と少女のような雰囲気である。少しだけ年齢は若いか。草田男の得意な世界。


202/gingaizen 9

句集『銀河依然 
昭和二十三年
 

夜をこえし誘蛾燈のみ濤の音
1948年
47歳
鑑賞日
2006/5/30

 〈金澤行 六十六句〉と前書のある六句目。〈濤〉は[なみ]とルビ

 どこか海岸の近く、昨夜から点いたままの誘蛾灯のみがしらじらと無意味に立っている。波の音だけが聞こえて来る。時に感じるしらじらとした旅の漂泊感というようなものか。


203/gingaizen 10

句集『銀河依然 
昭和二十三年
 

花合歓や時よりこまかきものに砂
1948年
47歳
鑑賞日
2006/5/31

 海岸の砂浜が見える。砂を「時よりこまかきのも」と形容したのが上手いと思うし、花合歓との配合も良い。


204/gingaizen 11

句集『銀河依然 
昭和二十三年
 

砂丘の合歓花枝低まる衣かければ
1948年
47歳
鑑賞日
2006/6/6

 説明のようにも散文のようにもとれるが、砂丘の合歓の木に衣服を掛けた時にその枝が低く撓んだということを短く書き取ることによって詩となっている。このようなものを取り上げるのは俳句に対する私の態度の変化かもしれない。


205/gingaizen 12

句集『銀河依然 
昭和二十四年
 

いくさよあるな麥生に金貨天降るとも
1949年
48歳
鑑賞日
2006/6/7

 〈麥生〉は[むぎふ]、〈天降〉は[あまふ]とルビ

 意味も考えれば分かるが、意味ではなく感覚的な面白さの句である。それに言葉の音の調子も品格を添えている。


206/gingaizen 13

句集『銀河依然 
昭和二十四年
 

蘖や涙に古き涙はなし
1949年
48歳
鑑賞日
2006/6/8

 「涙に古き涙はなし」ということは事実だと思うし、またこの事が「蘖」と響きあっていると思って頂いた。


207/gingaizen 14

句集『銀河依然 
昭和二十四年
 

浮浪兒晝寢す「なんでもいいやい知らねえやい」
1949年
48歳
鑑賞日
2006/6/9

 このセリフによって浮浪児の有り様がよく表現されている。この時代はまだ浮浪児がいたのである。貧しい時代であった。現代はどうか。確かに浮浪児はいない。社会全体は豊かになっているのだろう。しかし、と思う。大人や子供の内面は逆に孤独感は強まっているのではないか。「なんでもいいやい知らねえやい」と発するこの浮浪児がむしろ建康的に見えてくるのは私だけだろうか。もちろん浮浪児を生みだすような社会は御免であるが・・・。内面も外面も建康である社会というのは来るのであろうか。


208/gingaizen 15

句集『銀河依然 
昭和二十五年
 

冬の瑠璃蝶密着の翅開き初む
1950年
49歳
鑑賞日
2006/6/10

 〈翅〉は[はね]とルビ

 「密着の翅」という言葉が新鮮に響いたので頂いた。瑠璃蝶というのはルリタテハとかルリシジミというような蝶のことではないか。


209/gingaizen 16

句集『銀河依然 
昭和二十五年
 

冬も素足南國乙女過ぎて薫る
1950年
49歳
鑑賞日
2006/6/11

 建康な若さ、野性、そしてほのかな性の香り。


210/gingaizen 17

句集『銀河依然 
昭和二十五年
 

一茶の裔春水に鍋すり釜こする
1950年
49歳
鑑賞日
2006/6/12

 〈裔〉は[すえ]とルビ

 〈一茶終演の倉にて〉と前書のある七句のうちの一句。一茶は生まれた子を次々に失い、最後の一子だけが生き残った。しかもその最後の一子は一茶の死後に生まれたのであるから、一茶自身は自分の子孫が生き残るとは思っていなかっただろう。そしてその一子の子孫が現実に目の前で鍋釜を洗っているのを目にしたときは草田男も妙な感覚を抱いたに違いない。季節は春、生命の水とでも言いたくなる春の水で洗っているのである。命の不思議さ、その他もろもろである。
 もっとも実際に草田男が一茶の実の子孫を見たとは限らない。その辺りの主婦が鍋釜を洗っていたのかもしれない。おそかく詩人の想像力という可能性が強いのではないか。しかしそれが詩の真実ということでもある。

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