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中村草田男を読む21〜30(『長子』21〜30)
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句集『長子』 |
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校塔に鳩多き日や卒業す
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『長子』刊行年
昭和10年(1936) 草田男35歳 |
鑑賞日
2005年 11/12 |
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坦々とした事実の叙述である。鳩が多いということから静かで平和で祝福された感じが伝わってくる。坦々とした叙述であるから、はしゃいでいるという感じではなく、希望とともに小さな不安もあるというような事実を坦々と受け止めている感じである。いわゆる大人の表現である。 |
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句集『長子』 |
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松風や日々濃ゆくなる松の影
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『長子』刊行年
昭和10年(1936) 草田男35歳 |
鑑賞日
2005年 11/13 |
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季節の進行をよく感じさせてくれる句である。特に季語は使われていないが、これからだんだん夏になってゆく季節感がよく出ている。日々周りの自然をよく観察している証拠である。初夏、一番気持ちの良い季節である。 |
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句集『長子』 |
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あまた着きてへごの實あまた落ちにけり
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『長子』刊行年
昭和10年(1936) 草田男35歳 |
鑑賞日
2005年 11/14 |
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実をつけたへごの木のボリューム感が直に感じられる。この豊かなデッサン力。写生句として秀逸である。 |
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句集『長子』 |
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さながらに河原蓬は木となりぬ
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『長子』刊行年
昭和10年(1936) 草田男35歳 |
鑑賞日
2005年 11/15 |
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このさっぱりした書き方自体が河原蓬の形容として合っている。河原蓬の姿が見えてくる。
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句集『長子』 |
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乙鳥はまぶしき鳥となりにけり
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『長子』刊行年
昭和10年(1936) 草田男35歳 |
鑑賞日
2005年 11/16 |
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とにかく光を感じる句である。乙鳥は[つばくら]と読ませるのであろうが、気分としては[おつちょう」と読みたいくらいである。それだけこの「乙鳥」という表記が美しい。光と風の中乙鳥がまぶしい。この句を発した時には草田男自身が光となっていた。 |
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句集『長子』 |
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たかんなの影は竹より濃かりけり
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『長子』刊行年
昭和10年(1936) 草田男35歳 |
鑑賞日
2005年 11/17 |
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厚い情感が「たかんなの影」を通して表現されている。草田男の心の中にある熱のようなものを感じる次第である。影というと、草田男の師である虚子の「帚木に影といふものありにけり」を思いだすが、この虚子の句はものの存在の不思議さを感じるような句である。ものに感じて写生すると、そこには自ずからその人の質が現れるということか。 |
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句集『長子』 |
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筍の
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『長子』刊行年
昭和10年(1936) 草田男35歳 |
鑑賞日
2005年 11/18 |
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〈 草田男の若々しい憧れに満ちた心情を感ずる句である。 |
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句集『長子』 |
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田を植ゑるしづかな音へ出でにけり
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『長子』刊行年
昭和10年(1936) 草田男35歳 |
鑑賞日
2005年 11/19 |
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美しい日本の田園風景である。もちろん「しづかな音へ出でにけり」という表現が単なる写生ではない雰囲気のある風景画を作りだしている。 |
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句集『長子』 |
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負はれたる子供が高し星祭
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『長子』刊行年
昭和10年(1936) 草田男35歳 |
鑑賞日
2005年 11/20 |
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「星祭」という言葉だけで、憧れやロマンや豊かな人間の生活が想い浮かぶ。星祭は七夕のことであるが、七夕という言葉が日本的なイメージであるのに対して星祭は西洋的というか宇宙的というか、無国籍な感じさえ持つ。多分草田男の資質が選んだ言葉であろう。 |
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句集『長子』 |
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手の薔薇に蜂來れば我王の如し
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『長子』刊行年
昭和10年(1936) 草田男35歳 |
鑑賞日
2005年 11/21 |
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豪華で豊かである。そしてやはりどこか西洋的な自然観である。 |
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