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中村草田男を読む211〜220(『銀河依然』18〜27)

211/gingaizen 18

句集『銀河依然 
昭和二十五年
 

山櫻あさくせはしく女の鍬
1950年
49歳
鑑賞日
2006/6/13

 これは女の鍬使いを見ている人にとっては、なるほどそうだなあと思う句である。そういう事実を思い浮かべながら、また山桜のある景色などを思っているうちに、農山村の情景が現前してくる。


212/gingaizen 19

句集『銀河依然 
昭和二十五年
 

ボートにて湖來し大工チヤペル建つる
1950年
49歳
鑑賞日
2006/6/14

 〈湖〉は[うみ]とルビ

 当然にイエスのことが思い浮ぶ。イエスは大工の息子だからである。しかし、そのことは置いておいて、そのまま現在の事実として取ったほうが面白いのである。


213/gingaizen 20

句集『銀河依然 
昭和二十五年
 

春愁のピアノを子守等兒等のぞく
1950年
49歳
鑑賞日
2006/6/15

 ピアノを弾いている人が居る。彼は今春愁の中にいる、あるいはそのピアノ曲が春愁を思わせるような曲想である。それを窓から子守をする人達(時代的にみればこれも少し大きな子供かもしれない)や子供等が覗いているというのである。多分この覗いている子供達には春愁というものはまだ理解できないだろう。この取りあわせが面白い。


214/gingaizen 21

句集『銀河依然 
昭和二十五年
 

厚餡割ればシクと音して雲の峰
1950年
49歳
鑑賞日
2006/6/16

 この句はやはり上手いとしか言いようがない。同じく人間探究派と言われる加藤楸邨の「鰯雲人に告ぐべきことならず」が連想される。雲を背景しして人間の〈孤である〉という感じが両句にあるのである。草田男の句はそのことを直接言ってないところが上手いと思う。いわゆる〈物に語らせる〉ということであるが、〈物に語らせる〉ことの良さは読者の受け取り方の幅が広くなるということに繋がるから良いのであると思った。


215/gingaizen 22

句集『銀河依然 
昭和二十六年
 

まこと裸の聲みちのくの雨蛙
1951年
50歳
鑑賞日
2006/6/19

 直截な表現で好感が持てる。生なというか裸の自然に触れた時の嬉しさ驚きのようなものが伝わって来る。

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