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中村草田男を読む216〜220(『母郷行』1〜5)

216/bokyoukou 1

句集『母郷行 
昭和二十八年
 

松笠落ちて父の錢母の飯戀し
1953年
52歳
鑑賞日
2006/6/22

 『銀河依然』の後尾から大分句を飛ばした。その間、母の病、そして死などがあってそれに関する連作などもあったのであるが、句としては選べなかった。何かぐじゅぐじゅとした心理をもがきながら描いているようであった。
 この句を見て、その草田男の心理の原因のようなものがある程度は解ったような気がした。彼は心理的に甘えの強い人間だったのではないかと思えてきたのである。芭蕉の「父母のしきりに恋ひし雉子の声 」というような句とは根本的に違う甘えのようなものをこの草田男句には感じてしまうのである。


217/bokyoukou 2

句集『母郷行 
昭和二十八年
 

銅像の片手の巻物萬愚節
1953年
52歳
鑑賞日
2006/6/23

 一般的に銅像などというものは人間の愚かさの象徴のようなものである。そんなことを草田男も感じたのではなかろうか。


218/bokyoukou 3

句集『母郷行 
昭和二十八年
 

氷食ふやバスのステップすぐそこに
1953年
52歳
鑑賞日
2006/6/24

 「銀河依然」の後半からこの「母郷行」にかけてなかなか句が拾えない。草田男は自分の心意を句に盛り込もうとして苦しんでいるようにさえ見える。だから逆にこの句のような何でもない日常の一場面の句が良く見えるのである。


219/bokyoukou 4

句集『母郷行 
昭和二十八年
 

露の鐘鳴るとき母よ子を信ぜよ
1953年
52歳
鑑賞日
2006/6/25

 〈三井寺にて〉と前書

 「露の鐘が鳴るとき」と「母よ子を信ぜよ」が響きあう。


220/bokyoukou 5

句集『母郷行 
昭和二十八年
 

探幽描くは芭蕉へ母のかくれん坊
1953年
52歳
鑑賞日
2006/6/26

 この狩野探幽の絵がどのようなものであったのか。また「芭蕉へ母のかくれん坊」が実際に何を意味するのかはよくは解らない。解らないながらも何か響いてくるものがあるので頂いた。草田男にとっての母、あるいは一般的に母という存在が芭蕉の葉陰にかくれん坊をしているという状態が何となく響いてなんとなく解るのである。しかも「探幽」という言葉がその事に微妙に意味を加えているようにさえ思う。

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