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中村草田男を読む249〜251(『時機』1〜3)

249/toki 1

句集『時機 
昭和三十四年
 

重きものさがしては投げ枯野の子
1959年
58歳
鑑賞日
2006/8/21

 少女ではない少年である。成長してゆく少年の一側面を描いている。少年を描くと草田男は上手いのではないか。


250/toki 2

句集『時機 
昭和三十四年
 

日比谷あたりの夜霧僅かにすなほなる
1959年
58歳
鑑賞日
2006/8/22

 都会というものの特質が伺える。都会では素朴なもの無垢なもの素直なものは生き難い。野心や野望や企てがあれば都会は面白いだろう。ゆったりと自然であることは難しいのである。作者は夜霧を見て少しほっとしたのかもしれない。


251/toki 3

句集『時機 
昭和三十六年
 

紫雲英野に敢へて丘あり狂院載せ
1959年
58歳
鑑賞日
2006/8/24

 〈太宰府への往復の車窓より指されて、杉田久女氏終焉の地なる一建物の姿を仰ぐこと二回に及ぶ〉と前書

 紫雲英野に丘がありそこに狂院が立っている。この世は不条理である。人間が狂うという現象などはその不条理の最たるものであり説明しようがないし解決しようがない。「敢へて」という言葉が微妙で、そこに草田男の何らかの心意がこもっているのかもしれない。久女への感慨も込められているのかもしれない。それがどのようなものかいろいろ解釈してもしょうがない。不条理は不条理のまま受け取っておいたほうがいい。

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