| 表紙へ | 前のページ | 次のページ |
中村草田男を読む41〜50(『長子』41〜50)
|
句集『長子』 |
||
|
向日葵や極目要塞地帯なり
|
『長子』刊行年
昭和10年(1936) 草田男35歳 |
鑑賞日
2005年 12/2 |
|
〈極目〉は[見渡すかぎり]という意味。 向日葵と要塞地帯という取り合わせによる、がっしりとした構図の絵画を思わせる。色彩的にも、灰色を連想させる要塞地帯と明るい大きな向日葵の黄色の対比がある。意味の上でも、人間の不気味な建造物である要塞と、自然の豊かさの象徴であるような向日葵の対比がある。 |
||
|
句集『長子』 |
||
|
夏草や野島ヶ崎は波ばかり
|
『長子』刊行年
昭和10年(1936) 草田男35歳 |
鑑賞日
2005年 12/3 |
|
草田男年譜を見ると、〈昭和6年、夏、安房野島ヶ崎に遊ぶ〉とあるから、その頃に書いたものであろう。特に一句取り上げるという程ではないが、この辺りには捨てがたい写生句が並んでいるので並べてみた。 燈臺や緑樹は陸(くが)へ打歪み 草田男は後年になると内面に固執したわけのよく分らない句が多発するが、この時期には虚子に会ったばかりの頃であり(昭和4年に初めて虚子に会っている)、写生という箍がきっちりとはまっていた所為であろうか、それなりに分りやすく、読みやすく、写実的な映像も鮮明である。 |
||
|
句集『長子』 |
||||
|
項一つ目よりもかなし月見草
|
『長子』刊行年
昭和10年(1936) 草田男35歳 |
鑑賞日
2005年 12/4 |
||
|
〈項〉は[うなじ]とルビ たとえば竹久夢二の描くような女性像が思われるが、それよりももっと精神性、内面性があるような感じである。
|
||||
|
句集『長子』 |
||
|
果樹の幹苔厚かりし 歸省かな
|
『長子』刊行年
昭和10年(1936) 草田男35歳 |
鑑賞日
2005年 12/5 |
|
帰省してみたら果樹の幹の苔が厚かった、というのである。帰省というものの持つ一つの味がよく出ているのではないか。古里の持つ時間の厚みというか、時間が動いていない感じというか、過去の持つ懐かしさというか、そんなものである。 |
||
|
句集『長子』 |
||
|
秋の航一大紺圓盤の中
|
『長子』刊行年
昭和10年(1936) 草田男35歳 |
鑑賞日
2005年 12/6 |
|
間違いなく草田男の代表作の一つである。完璧とも言える造形の力である。読む絵画であると言える程に鮮明な色彩が見えて来る。心理k的なものが殆ど、かけらさえなく、写生の一つの極みの句であるような気さえする。集中力の一つの極みであるとも言える。 |
||
|
句集『長子』 |
||
|
曼珠沙華落暉も蘂をひろげけり
|
『長子』刊行年
昭和10年(1936) 草田男35歳 |
鑑賞日
2005年 12/7 |
|
印象鮮明な赤の風景画である。アニミズムの要素もあり、また匂やかなエロスの香りも漂う。 |
||
|
句集『長子』 |
||
|
露暗しむらがり醒めし藪雀
|
『長子』刊行年
昭和10年(1936) 草田男35歳 |
鑑賞日
2005年 12/8 |
|
「露」「暗し」「むらがり」「醒めし」「薮」「燕」、これだけの言葉、これだけの事柄を一句に凝縮してゆく集中力。これだけのものを詰め込んでも全体にごたごたした感じがなく、最終的に、蠢く生きもの感のようなものが、そこにある。 |
||
|
句集『長子』 |
||
|
朝戸繰るこちらのかはも鰯雲
|
『長子』刊行年
昭和10年(1936) 草田男35歳 |
鑑賞日
2005年 12/9 |
|
朝、戸を繰っている、こちらの側から見る空も鰯雲だなあ、というのである。誰でも経験するような事柄を新鮮な感覚で切り取っている。詩人である。自然にたいしていつも新しい感覚を持っているということである。 |
||
|
句集『長子』 |
||
|
雁渡る菓子と煙草を買ひに出て
|
『長子』刊行年
昭和10年(1936) 草田男35歳 |
鑑賞日
2005年 12/10 |
|
これも日常の中の詩である。日常の中の詩、これが最高である。逆に言えば、詩の日常を生きるということである。更に言えば、そこに常に詩があるような生の形態であれということである。 |
||
|
句集『長子』 |
||
|
鴨渡る鍵も小さき旅カパン
|
『長子』刊行年
昭和10年(1936) 草田男35歳 |
鑑賞日
2005年 12/11 |
|
〈北海道旅中〉と前書のある句の中の一句 旅情である。 |
||
| 表紙へ | 前のページ | 次のページ |