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中村草田男を読む81〜90(『火の鳥』21〜30)
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句集『火の鳥』 |
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蝌蚪見れば孤児院思ふ性を棄てよ
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1938年
37歳 |
鑑賞日
2006/1/11 |
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オタマジャクシを見ると孤児院を思うという性。草田男にはこのような性がありそうな気がしてきた。水溜まりで群れになってちょこちょこと泳いでいるオタマジャクシから孤児院を連想するというのは一般的にも確かに有りうるが、その性を捨てよとまで言っているというのは、はやり草田男の心理に根差した特有のものであると考えられる。 |
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句集『火の鳥』 |
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妻抱かな春晝の砂利踏みて歸る
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1938年
37歳 |
鑑賞日
2006/1/12 |
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草田男俳句の青春性・憧憬性・匂やかなエロスというようなものが詰った傑作である。草田男の妻俳句には傑作が多い。草田男の愛の対象としての妻の存在は相当なものであったと思われる。一方直子夫人はこのような草田男をどのように見ていたのだろうかと時々思う。結局草田男は夫人の掌の上に居たのではなかろうかと思えてくる。つまり、母親あるいは母に象徴されるものを夫人に投影していたのではないかということである。 |
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句集『火の鳥』 |
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吾子顎に力皺寄せ虻目守れる
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1938年
37歳 |
鑑賞日
2006/1/13 |
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妻俳句とともに吾子俳句も優れたものが多い。掲出句以外にもこの辺りにも細やかな愛情をもって子を見ている作品があるので並べて置く。 母の背に居る高さ虻の来る高さ |
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句集『火の鳥』 |
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野花白く蛇ゆるやかに切通
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1938年
37歳 |
鑑賞日
2006/1/14 |
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この句の少し前に 胸病めば農婦日傘をさして通る のような句があり、目の付け所が面白く取り上げようがと思ったが、理屈が見えるので止めた。たとえば「胸病む農婦日傘をさして通りけり」「金魚あぎとひ主婦また二間ばかり掃く」くらいにしておいてはどうだろうなどと思った。 それに引き換え、掲出句は理屈も何もなく、スカッとした風景があり詩がある。 |
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句集『火の鳥』 |
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崖下る迅さに蛇の身は一と筋
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1938年
37歳 |
鑑賞日
2006/1/15 |
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前の句に比べると、この句は少し意味を絡ませた書き方になっている。意味を含ませてもいいが、絡ませない方がいい。「崖下る迅さや蛇の身は一と筋」程度のほうが良いのでは。 |
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句集『火の鳥』 |
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風六月教師と柱暦煽る
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1938年
37歳 |
鑑賞日
2006/1/16 |
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学校の教師という日常生活の中の詩である。「風六月」に詩がある。「六月の風」などではつまらない。 |
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句集『火の鳥』 |
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郷愁は梅雨の眞晝の鶏鳴くとき
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1938年
37歳 |
鑑賞日
2006/1/17 |
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梅雨の季節。真昼に鶏が鳴く。そんな時にふと郷愁を感じたというのである。そんなこともあるなあ、という感じである。しかし書き方が理屈っぽいので、「郷愁や梅雨の真昼の鷄が鳴く」のほうが良いのでは。 |
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句集『火の鳥』 |
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ショパン弾き了へたるまゝの露万朶
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1938年
37歳 |
鑑賞日
2006/1/18 |
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上手いとしか言いようがない。集中して弾いていた楽曲が終った後の感じが「露万朶」によく出ている。私は楽器を演奏しないが、楽曲を集中して聴いた後の感じもこのような感じがある。また特にショパンあたりの楽曲がこんな感じを特に伴うのではないか。バロックや、また飛んで現代音楽でもなく。 ショパン、幻想即興曲第4番 |
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句集『火の鳥』 |
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船は汐とともに低まり蝉の崖
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1938年
37歳 |
鑑賞日
2006/1/19 |
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時間の経過と眼前の風景を短い言葉で切り取って見事である。夏のけだるいような季節感も感じられる。 |
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句集『火の鳥』 |
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妻戀し炎天の岩石もて撃ち
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1938年
37歳 |
鑑賞日
2006/1/20 |
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この句を挟んで次の二句もある 炎天の空へ吾妻の女體戀ふ いじらしい程の妻への恋慕である。 |
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