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中村草田男を読む91〜100(『火の鳥』31〜40)
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句集『火の鳥』 |
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かの母子の子は寝つらんか月見草
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1938年
37歳 |
鑑賞日
2006/1/21 |
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「寝つらんか」は「寝てしまっただろうか」という意味。 家族思い、子思い、妻思い、そして童話性のある草田男の資質。 |
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句集『火の鳥』 |
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詮しあふ少年の智慧きり\゛/す
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1938年
37歳 |
鑑賞日
2006/1/22 |
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「少年の智慧」と「きりぎりす」が響く。多分教え子に対する眼差し。童話性もある。 |
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句集『火の鳥』 |
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大學に来て踏む落葉コーヒー欲る
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1938年
37歳 |
鑑賞日
2006/1/23 |
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「大学」「落葉」「コーヒー」となると、甘酸っぱい青春の三種の神器のようなものではなかろうか。私のような団塊の世代にとってはそんなことも言える。 |
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句集『火の鳥』 |
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落葉に偲ぶ學の鐵鎖の重かりしよ
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1938年
37歳 |
鑑賞日
2006/1/24 |
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昨日の句に続く句である。「学の鉄鎖」という感じ方に共感を覚える。私が思うに、特に文系の学問に於ては、それは殆ど死体である。その死体をああだこうだと調べまわしているのが学者であるから、彼等にも瑞々しい感性はない。だから草田男が「鉄鎖」だと感じたのは首肯ける |
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句集『火の鳥』 |
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焚火火の粉吾の青春永きかな
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1939年
38歳 |
鑑賞日
2006/1/25 |
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焚火の火の粉を眺めながら、自分の青春は長いなあと感じている。いわば、未熟者だと感じているのであるが、人間に完成というのは無いのであるから、この心持ちは正当でずっと持ち続けてもらいたいものである。自分は完成したと思ったらお終いである。 |
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句集『火の鳥』 |
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裾長の寝巻の子佇ち庭の月
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1939年
38歳 |
鑑賞日
2006/1/26 |
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ほのぼのとした日本的な情景。谷内六朗の絵を思いだした。 |
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句集『火の鳥』 |
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道の蟲正午もつとも人絶ゆる
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1939年
38歳 |
鑑賞日
2006/1/27 |
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「道の蟲」という言葉が詩を作っている。このような句を見ると季語は偉大だなあと思うのである。 |
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句集『火の鳥』 |
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黒き肩掛年徑し指環ゆるやかに
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1939年
38歳 |
鑑賞日
2006/1/28 |
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上品で教養も感じさせる老婦人の肖像。 |
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句集『火の鳥』 |
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若き大工一つ灯冴ゆる鉋屑
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1939年
38歳 |
鑑賞日
2006/1/29 |
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青年大工の肖像画である。意図がはっきりしている仕事に集中している人間の姿。仕事が即ち彼であるというような無心の境地。完成度の高い一枚の絵のようである。 |
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句集『火の鳥』 |
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街角の産院なれば寒月浴び
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1939年
38歳 |
鑑賞日
2006/1/30 |
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この句を挟んで次の二句がある 寒さ見詰めて妻あり次子の生(あ)れんとす つまり掲出句は次子が生れるときに詠んだ句である。街角の産院を寒月が美しく見守っているという感じを受けるのである。 |
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