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山頭火『草木塔』を読む31〜40

31

鉢の子

酔うてこほろぎと寝ていたよ
昭和5年
(1930)
48歳
鑑賞日
2006年
1/31

 なるがまま、あるがままで誠に結構にも思えるが、これが「酒に酔う」だから問題がある。存在そのものに酔うのなら素晴らしい。「酒に酔う」、この依存性に問題がある。


32

鉢の子

また逢えた山茶花も咲いている
昭和5年
(1930)
48歳
鑑賞日
2006年
2/1

 〈昧々居〉と前書

 山頭火の人生の中で心温まるものはその句友たちとの交流であろう。松垣昧々もその一人である。この句にもその一刻のほっとした気持ち、懐かしい気持ちが出ている。


33

鉢の子

雨だれの音も年とつた
昭和5年
(1930)
48歳
鑑賞日
2006年
2/2

 年齢に関係なく、若々しい心だと、全てのものが新鮮で精気に充ちて若々しい。この句は山頭火の心が老いた状態である。引きずるように日々を生きていると心は老いてしまう。けれども、このように自分を客観的に眺めてそれを書き留めることが出来るということは、それ自体大いなる希望はある。先ず自分の状態を眺めることからすべては始まる。この句の次にある句

見すぼらしい影とおもふに木の葉ふる

では心が少し躍動感を持って来ている感じがする。


34

鉢の子

枝をさしのべてゐる冬木
昭和5年
(1930)
48歳
鑑賞日
2006年
2/3

 〈緑平居二句〉と前書のある二句目

 木村緑平は山頭火にとっては非常に大切な人だったらしい。山頭火を物心両面で支えた人は『層雲』の俳句仲間を中心に相当居たらしいが、緑平はその最も重要な人物の一人であったらしい。木村緑平についてあまり知らないし、また調べもしないが下のサイトにいろいろ出ている。
http://www.ikkakuya.com/santouka/santouka.html

http://www.atkyushu.com/InfoApp?LISTID=202&SCD=m199904

 ちなみにこの前書のある句の一句目は

逢ひたい、捨炭山(ぼたやま)が見えだした

である。この二句だけ見ても緑平が山頭火にとっては掛け替えのない人物であったことが解る。山頭火のような一見どうしようもない乞食僧が生きてゆく為にはこの緑平のように物心両面で山頭火を支える人物が必要だったわけである。しかし私はもう一つの面も見逃したくない。つまり山頭火にとって緑平が必要だったように、緑平にとっても山頭火が必要だったということである。このことを立証しようなどとは思わないが、人間関係とはそういう具合になっている筈なのである。


35

鉢の子

笠も漏り出したか
昭和5年
(1930)
48歳
鑑賞日
2006年
2/4

 〈述懐〉と前書

 〈述懐〉と前書を付けてまで「笠も漏り出したか」という舌足らずな言葉を書く。これでは一つの独立した文学形式である〈俳句〉とは言い難いのは確かである。しかし〈解る〉のはどうしてだろうか。それは私達が、山頭火という人物が歩んだユニークな境涯を知っているからである。つまり彼の境涯そのものを読者は常に意識しながら読むから解るのである。だからこの句は「俺の境涯や笠も漏り出したか」と補える。


36

鉢の子

うしろすがたのしぐれてゆくか
昭和6年
(1931)
49歳
鑑賞日
2006年
2/5

 〈昭和六年、熊本に落ちつくべく努めたけれど、どうしても落ちつけなかつた。またもや旅から旅へ旅しつづけるばかりである。〉という言葉があり、さらに〈自嘲〉という前書がある。

 〈自嘲〉という前書があるが、どこかにナルシシズムがある。自己にあるいは自我に酔っているような雰囲気がある。男のカッコ良さであり、男の間抜けである。
 「野ざらしを心に風のしむ身哉」と詠んで旅に出た芭蕉の全一さとは違い、山頭火の旅には心のどこかで後ろ髪を引かれるものが残っているのである。全一であることが出来なかったことが山頭火の大きな心の問題であった、と私は思っている。その意味でこの句は山頭火の代表作と言えるだろう。
 山頭火は〈愛すべき厄介者〉である。


37

鉢の子

鉄鉢の中へも霰
昭和7年
(1932)
50歳
鑑賞日
2006年
2/6

 托鉢行乞している最中の禅定とでも言えるような瞬間の句である。自己へのこだわりとか、グニャグニャした思いとかが払拭された瞬間の、いわば無我への入口の句である。
 この句には書かれていないがさらに余韻を味わえば、観音(音を観る)の状態が見えてくる。宇宙に存在するのは、この鉄鉢の中に降り来る霰とその音、そしてそれらを眺めている無我。
 このような瞬間が山頭火の旅の中に有ったことを思えば、山頭火の旅そのものが実に実体を帯びた確としたものに思えて来る。そのような意味では、この句は山頭火の背骨のような句である。


38

鉢の子

多雨の石階をのぼるサンタマリア
昭和7年
(1932)
50歳
鑑賞日
2006年
2/7

 〈大浦天主堂〉と前書

 雨が降りしきる中、協会の石の階段をのぼりながらサンタマリアと呟いている、という雰囲気がある。また、階段をのぼっていくのはサンタマリアだという雰囲気もある。いずれにしても、しっとりとした叙情が美しい。
 幼くして母の自殺という運命を背負った山頭火が聖母マリアのことを心に想い浮かべたということを思うと、何かしんしんとした泪がわいてくる。センチメンタルなものではなく、宗教的な安らぎをも感じるような感覚である。「鉄鉢の中へも霰」とは全く違った種類の宗教性である。その意味で「鉄鉢の中へも霰」と共に記憶しておくべき山頭火の句である。


39

鉢の子

ほろりとぬけた歯ではある
昭和7年
(1932)
50歳
鑑賞日
2006年
2/8

 歯がぬけた時の感じというのは、惜しいような、しかしホッとしたような安堵感がある。この感覚は大げさに言えば、悟りあるいは解脱の感覚に近い。「ほろりとぬけた」という言い方などは正にそんな感じを強める。また「歯ではある」という言い方が、歯は抜けてくれたが、私自身はいつ脱けるのだろうというニュアンスを私は感じてしまう。


40

鉢の子

安か安か寒か寒か雪雪
昭和6年
(1931)
49歳
鑑賞日
2006年
2/9

 〈熊本にて〉と前書

 この句を抜かしてしまったので少し前に戻っての観賞である。この句は「うしろすがたのしぐれてゆくか」の前に置かれた句である。前書も含めて並べてみるとよく解る。

〈熊本にて〉
安か安か寒か寒か雪雪
昭和六年、熊本に落ちつくべく努めたけれど、どうしても落ちつけなかつた。またもや旅から旅へ旅しつづけるばかりである。〉
うしろすがたのしぐれてゆくか   

 要するに迷いの句である。熊本では前妻サキノの家などにも受け入れられて逗留したりしている。いわば、普通の人間関係の中で普通に暮すことが山頭火にとっては「安」と感じられたのであり、寒空の旅のもとでの「寒」という感じと対比させているわけである。逆に心理的に見れば普通に暮すことが「寒」であり旅が「安」であったのかもしれない。とにかく迷いの句であり、どちらを選んでも冷たい「雪雪」なのである。そして山頭火は旅を選んだ。彼にとってはそうするしかなかったのだろう。やはり男である。男であることの弱さであるとも言える。

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