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山頭火『草木塔』を読む41〜50
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鉢の子 |
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ふるさとは遠くして木の芽
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昭和7年
(1932) 50歳 |
鑑賞日
2006年 2/10 |
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目の前に萌え出る木の芽を前にしてふるさとのことを想っている。しかし、そのふるさとは既に無いのである(心理的な意味でのふるさと)。この喪失感この流浪感にはやはり堪らなく淋しいものがある。 |
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鉢の子 |
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よい湯からよい月へ出た
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昭和7年
(1932) 50歳 |
鑑賞日
2006年 2/11 |
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温泉のようなところでの一場面であろうか。景もはっきり見えるし、気分もはっきりと解る。しかし、どこかしら夢の中の出来事のような雰囲気をもっている。 |
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鉢の子 |
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しずかな道となりどくだみの芽
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昭和7年
(1932) 50歳 |
鑑賞日
2006年 2/12 |
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どくだみはよく日陰のような所に群生している。そして清楚な白い花とあの独特の癒されるような匂いを放つ。その名前とは裏腹に薬草でもある。そんなどくだみの性質を思いながらこの句を読むと、しずかな充実感のような気分を感じる。 |
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鉢の子 |
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いただいて足りて一人の箸をおく
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昭和7年
(1932) 50歳 |
鑑賞日
2006年 2/13 |
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なるほどなるほど、と思うが、何となく山頭火らしくない風情である。いかにも行儀の良いかしこまった僧の生活という風情である。山頭火の中にある理想的な自分の姿を投影した句かもしれない。その意味では山頭火の句である、ということはできる。そして、実際にこのような心境になった時もあるだろう。人間存在は幅広いのであるから。 |
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鉢の子 |
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秋風の石を拾ふ
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昭和7年
(1932) 50歳 |
鑑賞日
2006年 2/14 |
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詩である。 |
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其中一人 |
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雨ふるふるさとははだしで歩く
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昭和7年
(1932) 50歳 |
鑑賞日
2006年 2/15 |
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山頭火は昭和七年九月に、国森樹明らの支援で郷里山口県の小郡町(現山口市)に結庵し、其中庵と名づけている。 |
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其中一人 |
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朝燒雨ふる大根まかう
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昭和7年
(1932) 50歳 |
鑑賞日
2006年 2/16 |
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朝焼だからきっと雨が降るだろう、大根の種をまこう、というのである。庵を結び、落ち着いて張りきっている気分がよく出ている。 かるかやへかるかやのゆれている というようにこの辺りには心の弾むような句が並ぶ。 |
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其中一人 |
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草の實の露の、おちつかうとする
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昭和7年
(1932) 50歳 |
鑑賞日
2006年 2/17 |
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この頃の山頭火の心理がよく出ているのではないか。落ち着きたいのである。 |
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其中一人 |
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ゆふ空から柚子一つをもらふ
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昭和7年
(1932) 50歳 |
鑑賞日
2006年 2/18 |
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きれいな句である。色彩感も豊かだし、「ゆふ空から柚子一つをもらふ」という観念が詩的でありまた宗教的でもある。 |
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其中一人 |
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いつしか明けてゐる茶の花
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昭和7年
(1932) 50歳 |
鑑賞日
2006年 2/19 |
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茶の花のさっぱりした白い感じと、「いつしか明けている」という感じが響きあう。 茶の花のちるばかりにしておく |
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