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山頭火『草木塔』を読む81〜90
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山行水行 |
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何か足らないものがある落葉する
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昭和9年
(1934) 52歳 |
鑑賞日
2006年 3/22 |
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「何か足らない」という感じは殆どの人が持っている傷である。そして殆どの人はそれを別の何かで埋め合わせをしている。例えば「未来に於てこのような状況になったら自分は満足感を得られるかもしれない」というような儚い希望である。現在の「何か足らない」という感じを未来に預けてしまうわけである。現在において十全でないものが未来に於て十全になるはずはないのであるが。 |
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山行水行 |
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ともかくも生かされてはゐる雑草の中
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昭和9年
(1934) 52歳 |
鑑賞日
2006年 3/23 |
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雑草の中に居て生かされている、という生の捉え方は建康である。「ともかくも・・・は・・・」という書き方に山頭火の疑念がちらちらするのではあるが。 |
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旅から旅へ |
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月も水底に旅空がある
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昭和9年
(1934) 52歳 |
鑑賞日
2006年 3/24 |
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このあまりにも澄み過ぎている漂白感には堪えられないものがある。 |
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旅から旅へ |
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すわれば風がある秋の雑草
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昭和9年
(1934) 52歳 |
鑑賞日
2006年 3/25 |
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山頭火が歩いて旅をしていたことを思うとこの句の気持ち良さがよく分かる。歩いて来て座った時のほっとした気持ち、風の気持ち良さ、雑草への親しみなどの他に、汗ばんだ身体や疲れた脚などの解放感も感じることができる。歩いて旅をしている人の句でなければ「そうですねえ」でおわる。 |
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旅から旅へ |
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道がなくなり落葉しようとしている
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昭和9年
(1934) 52歳 |
鑑賞日
2006年 3/26 |
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歩いてきたら道がなくなってしまった、そしてそこには今まさに落葉しようとしている木が立っている。 |
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旅から旅へ |
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柳ちるそこから乞ひはじめる
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昭和9年
(1934) 52歳 |
鑑賞日
2006年 3/27 |
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この句のほうが昨日取り上げた句よりは観念の匂いがしなくていい。柳がちる、心身脱落のような感じ、そしてそこから乞うという生き様がはじまる。 |
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旅から旅へ |
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あるけば草の實すわれば草の實
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昭和9年
(1934) 52歳 |
鑑賞日
2006年 3/28 |
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山頭火はこの「山行水行」という小さな句集の後書きに ・・・ と書いているが、私は前の句を取る。前の句のほうがリズムも色彩もあり楽しい。後の句には観念の影があり重くれている。 |
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旅から旅へ |
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飲みたい水が音たててゐた
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昭和9年
(1934) 52歳 |
鑑賞日
2006年 3/29 |
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〈木曾路 三句〉と前書のある一句目 山頭火は〈昭和八年十月十五日、其中庵にて〉として、次の文を書いている ・・・(略)・・・ 掲出句にはこの山頭火の水好きが肉体的にも心理的にも本当だということが解るような、水に出会ったときの嬉しい瞬間が表現されているように思う。 |
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旅から旅へ |
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山しづかなれば笠をぬぐ
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昭和9年
(1934) 52歳 |
鑑賞日
2006年 3/30 |
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〈木曾路 三句〉と前書のある三句目 この気持ちが解るような気がして頂いた。 |
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雑草風景 |
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残された二つ三つが熟柿となる雲のゆきき
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昭和9年
(1934) 52歳 |
鑑賞日
2006年 3/31 |
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「残された二つ三つが熟柿となる」と柿に引きつけておいて「雲のゆきき」と離れたのが上手いと思ったのであるが、ずっと読んでいると酩酊感が起ってくるのはなぜか。 |
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