表紙 前ページ 次ページ

〈生の詩人 金子兜太〉 21〜30

番号
覚え書き

日付

21

追悼句

070111

 金子兜太には追悼句が多い。私が読んだ句に限るが、〈・・死す〉〈・・逝く〉〈・・死去〉〈・・他界〉〈・・悼〉という前書は約八十あり、句数は約百二十六句ある。とても多いのではないか。これは金子兜太の中に、自分は他者と共に生きている生かされているという感じ方が根付いている所為ではないだろうか。ともかく数が多いので選びきれないのであるが、いくつかを見てみたい。

〈林邦彦死去〉
死を急ぐか鳥より強く海を叩き      『蜿蜿』

〈岑伸六死去 五句)の一句目
一瞬蒼白の踏切をおき喪の東北      『蜿蜿』

〈森谷良二死去〉
アカシア咲くその白き房の鋭き死    『旅次抄録』

〈義兄落合文平死去〉
流れるはすべて華なりただ眠れ      『皆之』 

〈句友武田翠城死去〉
有明の海の夏の陽燃えつきしか      『皆之』

〈坂本興司死去、享年四十一歳 二句)のうち一句目
父の遺骸に児が乗りたがる春の家     『皆之』 

〈牧ひでおの訃報を春大雪の秩父山中で受く 二句)のうち二句目
白雪なり魂沈みゆく白雪なり       『両神』

〈伯母とき他界〉
芸妓駆け来て屍(かばね)にすがる菜の花明り 『両神』

〈掘葦男他界〉     
新聞全面落花の写真葦男亡し       『両神』  

〈加藤楸邨師他界 二句)      
朝ひぐらし眼を開けて楸(ひさぎ)生う野に  『両神』
亡師笑うよ白桃を蟻よじのぼる

〈悼杉森久英先生 三句〉のうち三句目
第一級の寒波です能登の酒いかが     『東国抄』 

〈悼千葉玄吉〉
銃弾浴び薯をつくりて青春なりき     『東国抄』

〈悼石原八束〉
世話好きの八束いま亡し牛蛙       『東国抄』

〈悼古澤太穂〉
貫くとは叙情澄むこと太穂亡し      『東国抄』

〈山本仁太郎他界 二句)
山本仁太郎死ぬなと願う鰤起し
仁太郎亡し正直一徹の根榾め

〈宗左近他界 二句)のうち一句目
緑樹が埋める宙に左近の足の裏  『海程』2006年10月号 




22

海とどまりわれら流れてゆきしかな

070112

 他者と共に生きているという感じがあると書いたが、兜太句の中には「われら」あるいは「われ等」という言葉の入った句は約三十句ある。この数が一人の作家として多い方なのかどうかははっきりは解らないが、多いのではないか。その中でも一番好きな句

海とどまりわれら流れてゆきしかな    『早春展墓』

 絶対的なものを意識しながらも、この世では流れてゆくという感じ。この感じ、このバランスは大げさに言えば「生きる秘訣」である。しかも流れてゆくのが「われ」ではなく「われら」であるというのが大乗的であり、とても好ましい。
 現在の金子先生の態度、詩のエリートとしてだけではなく俳句を大衆のものとして広く活動なさっている態度の基本が感じられる句である。




23

ああいやだいやだ

070113

 ああいやだいやだ。生きるのが辛い。繰り返し繰り返し同じ事をして生きて何の意味があるんだ。人生は無味乾燥。生きる価値はない。

時の流れは砂時計 くりかえし くりかえし  〈A〉

 人生に何の意味が見い出せる? 美味いものを食う? しかしものの味がしないのだ。 友達や恋人と語り合う? そのどこが楽しいのだ。 仕事をする? 何の為に? 金を沢山儲けて六本木ヒルズあたりで夜景でもみながら高級ワインでも飲む生活をする? 社会的地位や力を得て人の上に立つ? 有名になって人々からちやほやされる? そうそういうのも面白いのかも知れない。しかしそうする気力自体が無いのだ。そういう事に意欲が湧いて活き活き活動できる人は愚鈍なのに違いない。今現在を生きて呼吸すること自体が重いのだ。食べ物の味さえしないのだ。虚しいのだ。

 生き死に言わず生きんとのみ? それは余りにも酷というもの。何故なら辛いのだから。辛くて辛くて辛いのだから。死にし骨は海に捨つべし? 生きている骨はどこへ捨てたらいいのだ。 われら流れてゆく? 我等どころではなく我という実体さえも何だか分らないのだ。・・・願わくば生きる意欲が湧く甘露のような液体が飲みたい・・・

 註〉 上の「時の流れ・・・」は二ヶ月前に自殺した友人A君の句。




24

詩の水脈

070114

 『詩を生きる』という題名のギュヴィックの自伝がある(青山館 服部伸六訳)。この本の原題は何だっただろうかと思い、書棚を探してみた。原題は出ていなかったが、その第一章の題名が目に飛び込んできた。〈詩を失ったとき、人は自殺する〉というものであった。この題名が昨日今日書いている内容にほぼ同じなので驚いた。

 生きる意欲が湧く甘露のような液体、それは自己の奥底を流れる〈詩の水脈〉から汲み上げなければならない。美の水脈と言ってもいいし他の言い方をしてもいい。それは存在する。多分多くの人はそれが存在することを肯定するだろう。もし誰かこの水脈の存在を疑う人があったとしたら、その人は忘れているに過ぎないのである。この水脈は涸れることがない。時間の始まりから終りまで延々と流れている。多かれ少なかれ人間はこの水脈の水を飲まなければ生きては行けない。意識するしないに関わらず生きているということはこの水脈の水を飲んでいるのである。どうせ飲むなら意識的に飲むほうが良い。そしてその水の味を何らかの形で表現できればもっと良い。何故ならその水脈が存在することをいくらかでも他者に自覚してもらうきっかけとなるからである。
 ギュヴィックはその自伝の中で「詩人の役割とは他者に自分自身の詩を気付かせることにある」という意味の事を言っている。人間はそれぞれが自分自身の詩を見い出さなけれならないのである。




25

岩鼻やここにもひとり月の客

070115

 そういう意味で言えば、俳句の宗匠とは他者に自分自身の詩を気付かせるというのが役目なのではないのか。現在、俳句の宗匠と言われる人は沢山いるが、この自覚を持っている人はどのくらいいるだろうか。自分の信奉している俳句の作法や自分の知っている言葉や季語の知識を教えるだけの宗匠は二流と言わなければならない。その意味でも芭蕉や兜太は一流である。
 有名な芭蕉と去来の話を一つ。去来に

岩鼻やここにもひとり月の客

という句がある。去来の意図は「月を愛でながら逍遥していると、岩鼻がありその上に一人の人物がいて月見をしている。ああ、ここにも一人月を愛でている風雅な人がいるなあ」というような事である。この句を見て芭蕉は、この月の客が一人称ならばもっと良いと言ったそうである。すなわち月の客が去来自信だということである。さて、皆さんはどう感じるだろうか。私は去来が初めに意図したものでも十分に美しいと思う。しかし芭蕉の解釈で味わってみると、ただ美しいというのではない、もっと深い人間の希求のようなものを感じないだろうか。自然の神髄に触れたいと願う気持ちであり、あえて言えば永遠なるものへの求愛とでも言うべきものである。去来の初めの意図では、日常の延長線上にある美であるが、芭蕉の解になると、日常を越えた深い詩精神を感じるのである。この芭蕉とのやりとりによって去来は、自分の発した言葉のより深い意味を察したに違いない。自分の奥底に流れる深々とした詩の水脈を感じたに違いないのである。




26

赤茶土手ただ赤茶色なるのみなり

070116

 さて兜太に於ける例を出そうと思うのであるが、これは恐縮にも感じるが私の息子の句に対する金子先生の評を取り上げてみたいのである。これが一番私にもその状況が解るからである。2006年12月号の『海程』の秀作鑑賞から引用する

赤茶土手ただ赤茶色なるのみなり  道 悠喜
 
 岡崎万寿は、この句に注目する理由として、存在をクローズアップしている、とおもしろい言い方をしていた。それと文語のよろしさ。青年道悠喜の文語活用にも興味があるが、そこにある景から喚起される、存在ということの不思議さ、その分の底知れない不気味さを伝えるためには、文語で書くほうが有効であることも分る。冬枯れの赤茶色の土手があるだけ、しかも、その赤茶色そのものがあるだけ。荒涼たる景とか、寒む寒むとした景とかいった、視覚から情感を刺激して止まない、言わば感覚だけの景に止まらない不気味なインパクト。在ることの抗し難い圧力。吸いとられるような空無。
 こうした句に季語の有無を問うことは無意味なこと言うまでもない。晩秋から冬、そして早春の季節を付加して読もうとしても益はない。「ただ赤茶色なるのみなり」の、心底に映じた存在空間だけがあればよい。        

 息子、道悠喜は、実はこの評を不思議がっていた。自分はそんなに深い想念をもって書いたわけではない、という意味の事を言っていた。私も息子がこれほどの評を貰えるほど深い意識を持っているとは日頃思っていなかったのであるが、この評を読んでから、いやいやこのような深い意識を持っている可能性はあるぞと考えるようになってきた。そしてその事は実は本人も日常的には気付いていないのかも知れないと思うようになった。まさに、このような評をして貰えるというのは実に有り難いことである。何故なら、自分でさえも気付いていない自分の中の深い意識に気付かせて貰う事が出来るのだから。願わくば、道悠喜が自覚的に自分の中の詩の鉱脈の存在を知ってもらいたいと思うのである。




27

亀鳴くや皆愚なる村のもの

070117

 さて、先の衆院選で小泉自民党が大勝した。郵政民営化すれば全ての事がうまく行くというような錯覚を人々に持たせた策が成功したのである。人間の愚かさや弱さを誘導した政治的に上手い手法を使ったわけである。あまり複雑なことは言わずに、一つの万能の処方箋を示す。この催眠的な手法はいつの時代にも大衆を動かす政治的に有効な手だったのではないだろうか。
 今、私は高浜虚子の事を考えているのである。彼の俳壇的な成功の事を考えているのである。彼の句に

亀鳴くや皆愚なる村のもの

というのがある。彼は人間の愚かさとか弱さを知っていた。そして彼にそこまでの意図があったかどうかは定かでないが、結果的には人間の愚かさを利用したと言えるのではないか。五七五という形で花鳥風月を写生すれば良い、というような実に単純な処方箋を書いたのである。そして彼の高を括ったようなカリスマ性とも相俟って俳壇的には大成功を修めたのではないだろうか。一時的には彼の恩恵を受けた人が沢山いたことは否めない。しかし人間の詩精神だとか俳諧のダイナミズムということを長い観点で眺めれば、彼の単純な言い方はマイナスに働いているように思うのである。
 彼の俳壇的な成功はそれ自体は目出度いことだし、私がとやかく言うことではないのであるが、一番の問題は彼の俳壇での成功と引き換えに彼自身の詩精神の瑞々しさがだんだんと失われてしまったのではないか、彼自身の生長が止まってしまったのではないかということである。晩年の句に

人生は陳腐なるかな走馬灯
我生の美しき虹皆消えぬ

というのがあるが淋しいことである。




28

死について

070118

 死について書かねばならない。実はこの事は避けて通りたかったのである。何故なら私がオカルトのような気分で書いていると思われるからである。そして殆どの人に理解されないということが分っているからである。実は死というものは存在しない。ほらもう眉に唾を付けられた。誰かさんを喜ばそうとか思って言っているわけではない。何かの理論の結論として言っているのではない。ただそうであるから言っているのである。そして死というものが全ての人の問題だから言っているのである。死は存在しない。しかし死の恐怖は存在する。死の恐怖への恐怖と言ってもいい。幽霊は存在しないが幽霊への恐怖は存在するようなものである。死の恐怖というのは自我の消滅への恐怖である。だから自我の強い人ほど当然死の恐怖は強くなる。だから実際的には死を考察するということは自我について考察するということと同義になる。自我、自己、「私は誰か」という問題である。何故ならもし死というものが在るとすれば、それは常に「私が死ぬ」という文脈でしかないからである。たとえ愛する人が死ぬということを考察してみても、愛する人が死ぬという事は私が死ぬということに還元できるのである。だから常に「私は誰か」ということを思念、黙想、瞑想するがいいのである。そうすれば何時か気付くかもしれない、今考えているような「私」はかつてそして今もこれからも存在しいということに。「私」が存在しなければ論理的な帰結としても当然「死」は存在しないのである。
 「おまえは存在するではないか」と言われそうである。ここにこの文章を書いている私がいるからである。これは影のようなものである。しかしこれは実に確かな影であり、またこの影の身の持しかたが大層大事な事であると実は私は言いたいのである。この影の生を真剣に大事に生きることがこの影から未練なく去ることができる唯一の方法であるとさえ思っている。もっと現実的な言い方をすれば、この世で如何なる態度を持って生きるかということが大事であるということである。



29

渾沌が二つに分れ天となり土となるその土がたわれは

070119

 正岡子規の短歌に

渾沌が二つに分れ天となり土となるその土がたわれは

というのがあるそうである。この態度が大事なのである。この世で生きるということは、どうしても二元的な相対的な価値観の中に身を置かなければならないが、その時に「土がた」に身を置くという態度である。この歌に関連して兜太は次のように述べている。

・・・私もまた、堀(空音註ー堀徹)から教えられつつ「庶民的人間性」、その「肉体的人間性」を、その「野致」を、子規とともに、自分の中に確認していった。自分は「土がた」であり、終生そうありたい、とおもい、それゆえに、俳句という〈庶民〉詩の肉体をえぐりだしてみたいとおもったのである・・・『定型の詩法』より

 これが素晴らしい。金子兜太を尊敬する由縁である。逆に虚子は渾沌が二つに分れ天となり土となるその天がたわれは、という意識があったように私には思えてならないのである。時に美しい句を作る虚子であるが、どうしても好きになれない理由である。この虚子と兜太の態度の違いの比較的にはっきり出ている句を探してみた。

出代の更に醜きが来りけり        虚子
五月の草に囲まれあくまで野の肥壺    兜太『少年』

 死との関連に於て、この「土がた」に身を置くという態度が何故大事かというと、つまり不死の意識というのは常に世界の一元的な把握の上に起るということであるからである。そして不思議な事にこの一元的は把握というのは「土がた」の意識を持っている人にのみ起り得るからである。起り易いと言っておこう。例えば釈迦が王の位を捨てて乞食の身にならなければならなかったというのはその極端な好例ではないだろうか。例は沢山あるが例外を探すのはとても難しい。




30

おおかみに蛍が一つ付いていた

070120

 さてこのように、「土がた」であり、「われら」であり、「生き死に言わず生きんとのみ」であり、物心一如であると私には思える金子兜太の生の中で、生の恩寵とても言うべき句が多々ある。その最も純化された光を感じるのが

おおかみに蛍が一つ付いていた     『東国抄』

である。この句をずっと黙想していると夾雑物の殆ど無い光が広がるのを私は感じる。ある意味では軽いとさえ受け取られられない句であるが、それだけ生の重力から解放されているのである。
 今のところ(何故なら金子先生は現在もますます御活躍されているので、これからどんな句を作るか分らないからである)兜太の句を三つ上げるとすれば、生のマスターキーであるような「白梅や老子無心の旅に住む」と、生への態度の極限の表現と言える「彎曲し火傷し爆心地のマラソン」と、あらゆる生の重力を抜けてしまったような恩寵の光を感じるこの句を上げたいと思う。他の句がこの三句に比べて見劣りがするということではない。むしろこの三句よりも生の滋味というか味わい深い句が沢山あるのである。この三句を上げるのは、生というものを図式的に捉えやすいので、私の中でそう決めているのである。

表紙 前ページ 次ページ