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1031〜1040 |
| 番号 覚え書き 日付 |
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川原の人奇数を好む黄葉拾う 100504 |
川原の人奇数を好む黄葉(もみじ)拾う 『日常』
中国思想においては奇数は聖数とされ、日本の文化の中にもその影響が強く見られるらしい。例えば、七福神、祭日が3月3日・5月5日・7月7日・9月9日とある、などである。私の感覚では、偶数があいまいであまり自分を主張しないのに対して、奇数はキリッとして自分を主張している感じがある。ただ、そういうふうなことがこの句の『奇数』に関係あるのかどうかは分らない。実際この句の意図がよく分らないというのが本音である。 |
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西国はいま稔りの黄俳句仲間 100505 |
西国はいま稔りの黄俳句仲間 句集外
兜太の場合、個人主義に陥ることもなくまた、なあなあの馴れ合いに陥ることもなく、バランスの取れた人間関係を見事に作ってきているように思う。また他者に媚びることもなく他者を見下すくともない。つまり上を作らないから下も作らない。そのあたりの心構えが「俳句仲間」という対等感のある言葉に出ているのではないか。しかしこれはあくまで兜太の内面の話であって、彼は正しく俳句の第一人者であるから、外面的な様相はかなり違うものがあるに違いない。しかしやはり内面が大事なのであって外面は流れるままにしておく以外にはない。ともかくバランスを持って生きてきた兜太の内面は「いま稔りの黄」なのである。 |
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頬に張りつく黄葉喜ぶ旅にあり 100506 |
頬に張りつく黄葉喜ぶ旅にあり 『日常』
兜太の句における色を調べてみようと思ったのは、この句を見てからである。例えばこの句の「黄葉」を「紅葉」と置き換えることはできないと思った。黄色の持つ、あるいは兜太が黄色に持たせているだろう穏やかないのちの色というような感じが無くなってしまうからである。 |
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黄揚羽寄り来原子公平が死んだ 100507 |
黄揚羽寄り来原子公平が死んだ 『日常』
《原子公平死す 五句》と前書のあ一句目の句である。二句目以下は次である 炎昼の荼毘白骨となり現(あ)れしよ 数ある兜太の追悼句の中でも最も印象的なものであり力があり、原子公平氏との縁の深さを感じる。今日の句はその冒頭の句として素晴らしい。「黄揚羽」が原子公平自身のようでもあり、原子公平の使者のようでもあり、原子公平のいのちそのもののようでもある。いのちという観点からみても、ここは「黄」揚羽でなくてはならない。 |
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山澄みて黄牛もヘテも歩くよ 100509 |
山澄みて黄牛もヘテも歩くよ 『日常』 《ヘテは怪獣》と作者註 《ソウル小旅 六句》と前書のある二句目 「黄牛」は韓国にいる牛の種類らしい。実際に黄色をしているのかどうかは知らない。ヘテは海駝(ヘッテ)で朝鮮半島に伝わる邪悪なものを追い払う想像上の動物で、殿の前などに守護神として据えられているそうである。
「黄牛」の句としては同じ前書のある五句目に次の句がある。 人の糞黄牛の糞穴惑い |
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牧草干され満目黄なり知床去る 100510 |
牧草干され満目黄なり知床去る 『日常』
この句は《知床旅吟 十三句》と前書のある十二句目の句であり、前にも一度鑑賞済みの句である。その時の鑑賞文は 黄色は兜太にとって穏やかないのちの象徴のような色ではないかと私は見当をつけているのであるが、現在進行中の「月」に関する句の鑑賞が終ってから、その次は兜太の色に関する句を調べてみたいと思っているので、このこともある程度確かめられるのではないだろうか。とにかく、この句における「満目黄なり」という表現には、すべてよしすべてよしと首肯いているような感じがある。 となっている。このとおりだと思うが、付け足しのように穿って鑑賞すれば、この句は現在の兜太の大きな生の流れを眺めての感慨を重ね合わせているとも受け取れる。「やるべきことはやってきた。その成果も大いにあった。すべてよしすべてよし。いつこの生を終えても悔いはない」。しかしこれは私の想像に過ぎないから本当のところは兜太御本人に聞いてみなければ分らない。 |
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縄の手の囚徒の包み青く冴え 100511 |
縄の手の囚徒の包み青く冴え 『生長』
今日から「青」という色の句を鑑賞してゆこうと思う。時々「碧」も入るかもしれない。 この句は昭和十三年(1938)兜太ほぼ十九歳の時の句である。「縄の手」とあるが、これは縄で縛られた手という意味だと思うが、当時は手錠というものはあまり使われていなかったのだろうか。また拘束された囚徒を身近に見るということは現在では殆どないが、当時はそういう場面が身近にあったのだろうか。この囚徒は包みを持っているのであるから、拘束されて何処かへ移送される途中であるような気がする。その包みが青く冴えているというのである。青い布で包まれていたのかもしれない。何かこの囚徒にとって大事なものが包まれているような気がする。例えば書籍のようなもの。ドストエフスキーは監獄に入れられる時に一冊の聖書を持っていったというが、そして生涯その聖書を愛読していたというが、何かそのようなこの青年囚徒(青年のような雰囲気がある)にとって大事なものである。 |
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青空を鼻梁に受けて梨を 100512 |
青空を鼻梁に受けて梨を これも昭和十三年の句であるが、兜太の一つの特徴がすでに出ている句であると思う。「青空を鼻梁に受けて」の部分である。自分の肉体への意識であり、その延長として外界の自然をも肉として意識するというようなことである。この句における青空と鼻梁には同等の価がある。 |
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空青し冬くる学舎の群がりに 100513 |
空青し冬くる学舎の群がりに 『生長』
昭和十三年の句。この頃兜太は旧制水戸高校に在籍していた。 |
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青芒泉をふくむ口一杯 100514 |
青芒泉をふくむ口一杯 『生長』
昭和十七年(兜太二十三歳)の句。前年に兜太は東京帝国大学経済学部に入学している。また同年に太平洋戦争に突入している。昭和十七年の年譜に「休暇はいつも郷里の土蔵で読書、作句などして過ごす。大学はほとんど出席せず。」とあるが、この句は《故郷秩父にて・十四句》と前書のある中の一句であるから、そういう状況での句であろう。 |
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