表紙 前ページ 次ページ

1041〜1050 

番号
覚え書き

日付

1041

青梅落つ三とせの服はたるみつつ

100515

青梅落つ三とせの服はたるみつつ     『生長』

 昭和十八年(兜太二十四歳)の句。三年間着続けている服がたるんでいるというのは、私などの年代(昭和二十二年生まれ)にとっても懐かしいものがある。一昔前はどんな服でも着られなくなるまで着古すというのが常識であったのではないだろうか。また他人のお下がりを着るというのもある程度当たり前であった。社会全体が貧乏であった所為もあるだろうが、このように物を大事にするということ自体に懐かしいものがある。「青梅落つ」も懐かしい。
 この句は《故郷秩父にて・五句》と前書のある句である。すべての句が懐かしい感じがするので書き出してみる。

井戸をつく音に目覚めし帰省かな
熊蜂や蔵壁いたく陽の色に
ふるさとの梅雨の梁あり目ざめたる
裏口に線路が見える蚕飼かな




1042

家の蠅なおつ
いてくる青田中

100516

家の蠅なおついてくる青田中       『生長』

 《千葉の吉植農場に勤労奉仕で泊る・六句》と前書のある一句目の句である。
 家の蝿が青田の中までなおついてくることに作者は感想を言っていないが、煩わしいと思うよりむしろ親しみを感じているのではないか。
 ところで何年か前に我家の裏の農家が古い家を解体して新築したことがある。ブルドーザやバックホーなどの重機で一気に解体してしまったのであるが、その時にびっくりしたのは、裏の家に住みついていたと思われる蝿の大群が大挙して我家に押しかけてきたことである。農家には「家の蝿」なるものが居るということをその時思った。その後その蝿達が我家に住みついたのかどうかは定かではない。




1043

闇の青葉何処までゆけど闇の青葉 

100518

闇の青葉何処までゆけど闇の青葉      『生長』

 これはトラック島での句である。夜の林の中を歩いている場面の嘱目吟であるような気がする。
 しかし私は全く別のことを考えている。私の息子のことである。彼は統合失調症を若い頃発症し二十年経った今でも全く良い方向に向わないで重症である。幻聴、妄想、思考の混乱そして強迫観念等々が日々彼を襲っている。そして精神年齢は五歳児のようであり、全く生長ということがないようにみえる。この句を読んで彼のことを思ったのである。彼は闇の青葉なのである。何処までゆけど闇の青葉なのである。




1044

海に青雲生き死に言わず生きんとのみ 

100519

海に青雲(あおぐも)生き死に言わず生きんとのみ  『生長』

 これはもう青雲(あおぐも)でなくてはならない。白雲や茜雲などでは駄目。また青雲(せいうん)では妙に臭い意味が付加されてしまうから余計に駄目。青という色の一つの本質を垣間見るような句である。




1045

森の奥パンの実青く焼かれおり 

100520

森の奥パンの実青く焼かれおり       『生長』

 パンノキはクワ科の常緑高木でポリネシア原産。木は高さ15mほどに成長し、葉は大きく7-9裂の掌状。雌雄異花。 葉が大きく、よく茂ることから、熱帯地方では日陰樹として公園や庭園、また街路樹として植えられる。18世紀末にイギリスのウィリアム・ブライによって、黒人奴隷の食料として西インド諸島に導入された。現在でもジャマイカでは食されている。
果実は黄色〜黄褐色で直径10-30cm。枝先に2-3個ずつ着生し、成木からは年間50-200個が得られる。
果肉にでんぷんを含み、蒸し焼きや丸焼き、あるいは薄切りにして焼いて食べられる。 また火で乾かしてビスケット状にし、貯蔵する。味はサツマイモに似ているとされる。なお、果肉を葉で包んで土に埋め、発酵させてから食用にもする。これによって長期保存が可能となる。

パンノキ
パンノキの実

以上Wikipediaより




1046

青草に尿燦燦敵機来る 

100521

青草に尿(いばり)燦燦敵機来る       『生長』

 敵機が来る。闘いをやらねばならぬと勇んでいるふうに感じられるのは「青草に尿燦燦」だからであろう、「青草」だからであろう、「青」だからであろう。

 今日は少し時間があるので最近の私の生活ぶりを書いておこう。最近はバタバタと忙しい。まず屋根塗りがある。我家の屋根は昔の茅葺きの屋根にトタンを被せたものである。トタンであるから何年か経つとペンキを塗り直さないといけない。ただペンキを塗るだけならいいが、錆などが出ているから、その錆をワイヤーブラシのようなもので擦り落してから塗らなければならない。また雪国特有のほぼ四十五度に近いような急傾斜の屋根なので、命綱を張ったり、梯を繋いで足場を作るというような面倒なことをしなければならない。だから仕事は速やかには終らない。他にやることもあるし、私の性格もそうだから、ほぼ一年かけて時間の合間合間に塗ろうかと思っている。
 先頃実家の父(九十七歳)が軽い脳梗塞で入院したと知らせがあったので見舞いに行こうとしていた矢先に、家の水道の配管が台所の地下の部分で漏水してきた。古い家で建て増しなどもしてあるので、その配管が複雑でまた地下のかなり深いところを通っているので私の力ではどうにもならないで、結局水道屋に頼んだのであるが、これで一週間くらいかかってしまった。それでまだ父親の見舞いには行ってない。様子を聞くとあまり大したことはなく既に退院したそうである。
 それからどういうわけか蔵の地盤が少しづつ沈み込んでいて、そのために蔵の壁が春先に大きく落ちた。おそらく、蔵の下の部分に空洞ができていてそこを雨水が走ったのではないかと思っているが、これもそのうち何とかしなければいけない。とりあえず今年は落ちた壁を粘土とモルタルで補修しておいた。
 あとは例年のことであるが春の農作業の忙しさである。ちなみに今日は大豆を蒔こうかと思っている。
 下の屋根塗りの写真は何年か前に塗った時の写真である。




1047

墓地見つつ青き蜜柑の昼餉かな

100522

墓地見つつ青き蜜柑の昼餉かな       『生長』

 これは戦地から帰国する前の句であろう。『少年』のほうに《帰国を前の戦歿者の墓に詣る(二句)》と前書のある

犬は耳垂れ今は草蒸す島の径
日盛りの墓碑やあらわに匂いもなし

というのがあるから、同じ機会の句かもしれない。墓地の辺りに腰をおろして青蜜柑を食べているのだろうか。この青蜜柑は米側から供給品であったのだろうか。分らないが、当時としては貴重品だったのではないか。みずみずしい青蜜柑。しかし、句としてはそれを喜んでいるというふうではなく、どこかぼんやりと事の全体を見ているという雰囲気がある。




1048

野ばらの莟む
しりむしりて青空欲る

100523

野ばらの莟むしりむしりて青空欲る     『少年』

 これは《富士山麓 三句》と前書のある一句目の句である。じくじくとした心の苛立ちのようなものが上手く表現されているのではないか。青空を欲しているのであるが、二句目

小さく赤い蜘蛛手を這えり糸曳きて

と「小さく赤い蜘蛛」が何か心のわだかまりを象徴するように糸を曳いて手を這っているのである。しかし三句目

富士を去る日焼けし腕の時計澄み

ではその心のわだかまりがいつの間にか取れていて、その心を象徴するように、日に焼けた腕の時計が澄んでいるのである。「日焼けし腕」というのがこの心理変化の鍵ではないだろうか。




1049

青栗が落ちているなり親指冷ゆ

100524

青栗が落ちているなり親指(おゆび)冷ゆ     『少年』

 青栗が落ちているというのも自然が発する言葉であるとしたら、親指が冷えるというのも肉体という自然が発する言葉である。このいわゆる大自然と肉体という自然を同等のものに見做すというのが兜太の思想として有ると思う。思想というより、生まれつきの感覚といったほうが的確かもしれない。そういう感覚があるからこういう句を書くのだし、またそういう感覚を確かめるためにこういう句を書くともいえる。こういう感覚は私にはあまり具わっていないのであるが、句を何回も読んでいると「青栗が落ちている」と「親指冷ゆ」が響いている。




1050

積乱雲青田の墓も雲の色

100525

積乱雲青田の墓も雲の色        『少年』

 一枚の風景画を感じる。青と白そして陰影でできている風景画である。というか、風景を画家が創作する時の感受性で見ている感じといってもいいかもしれない。



表紙 前ページ 次ページ