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1081〜1090 

番号
覚え書き

日付

1081

日照りの坂道際立つ青い古都を捨てる

100630

日照りの坂道際立つ青い古都を捨てる   『金子兜太句集』

 「日照りの坂道際立つ/青い古都を捨てる」と切って読んだらいいのではないか。これは作者の長崎時代の句であるから、「青い古都」というのは長崎のことかもしれない。現在自分は日照りの坂道を歩いている。その日照りの坂道が際立っている、言い換えれば現在只今在るということが際立っている。だから過去のあらゆる思念や観念、自分が青い古都を歩いているという観念さえもが脱落してくる。また、日照りの坂道を主語ととれば、この坂道はその古い属性を捨てて現在のあるがままの姿で際立って存在している。そういうことではないか。




1082

友等に青黒い長崎灯を縫う灯の電車

100701

友等に青黒い長崎灯を縫う灯の電車   『金子兜太句集』 

 昨日の句で「青い古都」が長崎のことであれば、今日の「青黒い長崎」という印象とあわせて長崎には青という印象が作者にはあるのだろうか。私は長崎に行ったことがないので、そのあたりは何ともいえない。そのことは置いておいて、この「電車」は路面電車のことであろう。長崎に行ったことはないが長崎に路面電車があることぐらいは知っているし、「灯を縫う灯の電車」というのがいかにも夜の路面電車の感じであるからである。
 句集において、この句の次に次の二句が並んでいる。

鈍しにぶし友等の前の日暮れる湾
灯でふくらむ遠い爆心部の透明ビル

同じ時に作られた句のような気がする。




1083

海底なびく青い藻母子に乾く季節

100702

海底なびく青い藻母子に乾く季節     『金子兜太句集』

 「海底なびく青い藻」と「母子に乾く季節」の二物配合である。不安な時代状況、あるいは不穏な心理状況という感じが私にはするがどうだろう。この句の前に次の藻の句もある。

枯色海藻木のドアに母緻密になる

 話は変るが、『海程』の編集長である武田伸一さんが体調を崩されて一時入院されたそうであり心配している。今更ながらに思うのは、『海程』の自由な雰囲気を作り出しているダイナモは金子先生に間違いないのであるが、その雰囲気を細やかに支えているのが武田伸一さんであるような気がしている。御二人とも長く元気でいてほしいものである。




1084

物議なり青田に集る若い農夫

100703

物議なり青田に集る若い農夫      『金子兜太句集』

 村落共同体というのは都市に比べて物議の多いところである気がする。人間関係が濃いゆえに人間同士の軋轢も多いからであろう。農村出身の小林一茶が俳諧師として帰郷しても、小さな噂話から誹謗中傷まで、これはまさに物議を醸す対象になったことは当然の成り行きだったような気がする。

古郷は蝿すら人をさしにけり   一茶

というわけである。
 若い農夫が集まれば、これは何か企みがあるのではないか、何か事を起そうとしているのではないかと物議を醸す。のどかに広がっている青田の感じとこのような人事とが好対照をなしている。そういえば一茶に

父ありて明ぼの見たし青田原

という句があった。




1085

青天へ歪み刻まれ西指す婆

100704

青天へ歪み刻まれ西指す婆       『金子兜太句集』

 句集ではこの句の一句前に

崖上の麦畑の辺に狡い老婆

がある。同じ老婆であろう。この「狡い老婆」の句で普遍化しきれなかったこの老婆像が「西指す婆」の句で普遍化あるいはイデア化されて形象されている感じである。「狡い老婆」は具体であり「西指す婆」は客観視されたイデアである。「崖上の麦畑の辺に狡い老婆」には普通の意味での善悪の観念が含まれているが、「青天へ歪み刻まれ西指す婆」にはそれらの観念を止揚した姿である。彫刻的な句である。




1086

青濁の沼ありしかキリシタン刑場

100705

青濁の沼ありしかキリシタン刑場    『金子兜太句集』

 作者はキリシタン刑場跡に佇っているのだろうか。そして「青濁の沼」を思っている。この青濁の沼というのは作者のキリシタン処刑の歴史に対するイメージ、あるいはその時に処刑されたキリシタンの心の在り方へのイメージではないだろうか。そもそもキリストの磔刑から始まったキリスト教には死のイメージが付き纏うが、だから私などには血の赤い色あるいは愛の赤い色が思い浮かぶのであるが、兜太は青色をイメージするのかもしれない。次のような句もある。

貧農昇天キリストよりも蒼い土へ    『金子兜太句集』

 (今は青あるいは碧という字を含む句を鑑賞しているのであるが、蒼という字のことを忘れていた。いずれやろう。)




1087

青く流れる猫が暮景の刑死の丘

100706

青く流れる猫が暮景の刑死の丘     『金子兜太句集』

 この句は句集で昨日の句から二句目に置かれている。同じキリシタン刑場跡のことかもしれない。この辺りに並んでいる句を書き出して見ると次のようになる。

青濁の沼ありしかキリシタン刑場
ホームより覗かれ火を擦り了る記憶
青く流れる猫が暮景の刑死の丘
墓掘りが樹間に沈む瀕死の空
司教にある蒼白の丘疾風の鳥

 二句目はどうもわからないが、他の句は同じ場所をテーマにしているように見える。この丘である刑場がどこなのか私は知識がない。今日の句はその刑死の丘に夕暮れ時に佇んでいると、猫が青く流れるように通り過ぎたというのだろうか。「青濁の沼」「青く流れる猫」「蒼白の丘」というように、この場所に佇む作者の気持ちはブルーに支配されている。




1088

青く疲れて明るい魚をひたすら食う

100707

青く疲れて明るい魚をひたすら食う    『金子兜太句集』

 同じような色合いの配合と同じような疲れの句に

青野に眠る黄金の疲労というもので    『蜿蜿』

がある。どちらも嫌な感じの疲れではなく、充実した生における若々しい疲れである。当然、後の句を作った時は前の句のことが頭にあっただろうし、同じ場面での連作のようにさえ思えるほど雰囲気が似ている。どちらも好きな句である。




1089

蛸の海の群青乱れゆく中年

100708

蛸の海の群青乱れゆく中年       『金子兜太句集』

 蛸の海の群青が乱れてゆく感じが中年の感じであるというのではないだろうか。兜太が四十台に入ったばかりの句であるから、自分のことを言っているのかもしれない。中年におけるエネルギーの態の一つの在り方の描写だろう。「蛸の海の群青乱れゆく」というのはエネルギーがみなぎって拡散してゆくというような感じがある。




1090

ギター弾く青年と墓地裏の家に眠る

100709

ギター弾く青年と墓地裏の家に眠る    『金子兜太句集』

 ギターを弾くこの青年も自分と共に眠ったのだろうが、その前に暫くの間でもギターを弾いたのだろうか。そのほうがいい。それも静かで流れるような曲がいい。この家の前は墓地である。そして静かで瞑想的な曲が流れる中で自分は眠りに引き込まれてゆく。死者も生者も安らかである。
 ここで不眠に悩むカイザーリンク伯爵の為に演奏されたというバッハの名曲ゴールドベルク変奏曲を

曲名 ゴールドベルク変奏曲 アリア
作曲者 J.S.Bach
製作者 D.Grossman



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