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851〜860 

番号
覚え書き

日付

851

月射す峡身熱きとき涙

090616

月射す峡身(しん)熱きとき涙  『暗緑地誌』

 これは、〈山峡(岳父の死)・十二句〉と前書のある二句目の句である。
 六月九日に私の兄の病(肝臓ガン)が急変したという電話を受けて、急遽高崎までお見舞いに行った。既に意識は混濁していた。肝臓ガンの場合、肝臓から分泌される確かアンモニアが脳に廻って意識が混濁するのだという。時折その混濁した意識で発する言葉が「お父ちゃん、お父ちゃん」であり、何回かに一回が「お母ちゃん」であった。私の母は既に死んでいるが、父はまだ健在である。父も見舞いに行っていて、傍に居たりしたのであるが、その見舞いに行った父に呼びかけているのではない。多分これは自分の記憶の中に居る父や母に呼びかけているのであろう。そして更に私が想像するのは、この父母への呼びかけは無意識的に存在の根源の大元に呼びかけていたのではないかということである。そもそも人間が父母を敬うのは、父母が自分という存在に対してその源に在るような感覚を抱きやすいからではなかろうか。リグ・ヴェーダに「真理は一つ。聖者達はそれを様々な名で呼ぶ」という言葉があるそうであるが、そのもっとも呼びかけやすい名が「父」でありまた「母」であるということではなかろうか。通常このことは無意識になされているから、「父よ母よ」と言ったって、それが存在の根源に呼びかけているものだとは殆ど誰も気が付かない。この呼びかけを意識的に行ったのがイエスではなかろうか。彼が「アバよ(お父ちゃん)」と呼びかける時、彼はこのありとあらゆる存在の根源にまします者に呼びかけているということを、彼は知っていた。しかし、知っていようがいまいが、呼びかけているということでは万人共通である。
 その兄も六月九日に亡くたった。葬儀も終り、私はまた長野に帰ってきて、日常の生活をしている。死とは不思議なものであり、そしてまた、生きてあるということも不思議なものである。兄の死に際しての三句。

父よ父よと夜を渡るや不如帰  〈死の床の兄〉
麦の花ほろほろ咲けり兄は逝けり
梅雨空にきれいに鳴りぬ兄の骨




852

みずみずしい電車を出れば月の山

090617

みずみずしい電車を出れば月の山  『暗緑地誌』

 これは〈那須・五句〉と前書のある五句目の句である。
 旅というものは、いわば三次元空間の中での移動であるから、周りの景色も三次元という次元の中で変化してゆく。しかし三次元は三次元であるから、そこを旅する自分の意識も同じ次元における変化を楽しむだけである。だから、観光旅行で北海道に行こうが沖縄に行こうがアラスカに行こうが月に行こうが火星に行こうが、基本的には、あるいは理論的には、自分の中の意識の飛躍的な変化というものは無いのである。しかし、旅の中でそれが起ることはある。また、近くのスーパーに出かけた時であるとか、日常のありふれた事物に触れた時だって、そういう事が起ることはある。しかしやはり旅というものの中で起る確立は日常的な生活の中で起る確立よりも高いかもしれない。この句は那須に行った時の句であるらしいが、そのような単に三次元の空間を移動しただけではない、何か新しい次元の事物を垣間見たような雰囲気を持っている。




853

よく喋る老婆と子犬白三日月 

090618

よく喋る老婆と子犬白三日月     『暗緑地誌』

 ここ十日ばかり腹痛に苦しめられている。例の持病である。この持病は温めると直るという経験から、この十日間ずっと使い捨てカイロを四枚ばかり、腹のほうに二枚背中のほうに二枚貼っている。それでも間に合わない時は、電気あんかを腹の周りに当てている。そしてそれが気持ち良いのだから、適切な手当てだと思っている。今までの経験だと、こんなやり方で殆ど一日か二日くらいで直ってしまっていたのであるが、今回は長引いている。このまま直らないのではないかという心配まで起るしまつである。やはり老人ということなのであろうか。だいたいこの腹痛は何なのか。今まで何回か医者にも行ったが分からない。体質のような気もする。こういうのは現代の医者よりもむしろ昔の経験豊富な漢方医のほうが分かるかもしれない。とにかく今は喋るのさえおっくうになってくる。今日の句のこのよく喋る老婆は健康そうである。今の私の状態から、そう見えるのかもしれないが、うらやましい。あやかりたいものである。




854

白鳥くるか月鈍きとき巨塊 

090620

白鳥くるか月鈍きとき巨塊    『早春展墓』

 鈍い光を放っている月がとても大きく見える。そんな月を背景にして白鳥が渡ってくるという幻想である。・・六歳のガダーダルは田舎道を歩いていた。突然空に黒雲が沸き、その黒雲を数羽の白い鶴が横切って飛翔した。その瞬間に彼は恍惚に落ちて外界の意識を失ってその場に倒れた・・のちのラーマクリシュナの最初のサマーディー(三昧、恍惚境)の経験である。この美に対する感受性の激しさは大したものであるが、同じく美を職業とする兜太にも、この句のようなイメージが沸いたのも不思議ではない。もやもやとした大きなものを横切る白い鳥。




855

薄荷積む日を月を積む雨の日は 

090621

薄荷積む日を月を積む雨の日は    『早春展墓』

 薄荷は私の居る所(長野県北部)でも、湿った場所などに群生していることがある。シソ科の植物であのいい香りがする。昔はこの植物を栽培してその成分が食料品やタバコの香料や医薬品として利用されていたらしいが、現在では合成のメントールや輸入薄荷に押されて日本での栽培は激減したらしい。。八月〜十月に淡紫紅色の小さな花をつける。この句は「薄荷積む/日を月を積む/雨の日は」と読むのであろうが、この「積む」は何だろうか。初めは薄荷の出荷の為の積み込み作業のことかとも思ったが、「日を月を積む」という言葉もあるから、そうでもないかなとも思える。しかし、この句は北海道を旅した時の句であり、北海道は日本の薄荷の主要生産地であったらしいから、やはり薄荷の出荷作業である可能性が強いと判断しておく。この北海道の旅の句から印象的なものを少し掲げておく。

あおい熊チャペルの朝は乱打乱打
あおい熊毛蟹を食えば陰陰(ほとほと)
骨の鮭アイヌ三人水わたる
骨の鮭鴉もダケカンバも骨だ
馬遠し藻で陰(ほと)洗う幼な妻
鴎やわらか妻よろこんで日だまりへ
アイヌ悲話花野湖水の藻となるや
海とどまりわれら流れてゆきしかな




856

蛾や金ぶん穀象もくる底なし月夜 

090622

蛾や金ぶん穀象もくる底なし月夜    『狡童』

 最近、金子先生の新しい句集が出版された。この句集『日常』の後書の最後の部分に・・〈生きもの感覚)を育ててゆきたいとも願う。アニミズムということを本気で思っている。・・とあるが、今日のこの『狡童』の句などはそのアニミズムということの素質は既に充分にうかがえるのではないか。蛾や金ぶんや穀象と自分とが殆どその区別なく、同じ底なし月夜という時空を共有している。虚子の

金亀子擲つ闇の深さかな

などと比較してみると、それがよく解る。




857

死生観

090623

 死生観という言葉がある。単に人生観というよりもっと深い死と生の把握から来る言葉のような気がする。もともと死と生はコインの裏表のようなもので、片方なくしてはもう一方も存在しないのであるから、死生観という言葉が深い人生観というような意味で使われるのだろう。しかし、この言葉を死観と生観という二つに分けて考えることも出来るのではないか。そして死観は豊かであるが生観は貧弱であるという人、逆に生観は豊かであるが死観はそれ程でもない人がいるのではないだろうか。前者は私であり、後者は金子先生だというのが私の仮説である。この「生の詩人 金子兜太」という文章そのものが、この仮説に基づいて書き始められたといってもいい。生というものの豊かさを金子先生から学ぶ為に書いているのであり、また折に触れて死というものの本質を示したいというのが、私の意図である。今回出版された金子先生の句集『日常』の後書は、このような話題を話すのに格好のテキストになるかもしれないので、取り上げさせてもらう。この後書は私にとっては味わいも含蓄もあるので、一応全文を掲げさせてもらう。

  あとがき

 平成十二(二〇〇〇)年秋から、同二十(二〇〇八)年夏までの八年間の俳句を、この句集にまとめた。『東国抄』につづく第十四句集である。暦の年齢でいえば、小生、八十から八十八歳までのもの。(しかし小生はこの暦年齢を虚と思っている)。

 この八年間に、母はるを百四歳で見送り、二年後には妻みな子(俳号皆子)を八十一歳で見送った。母他界の日は、平成十六(二〇〇四)年十二月二十七日。妻みな子は、平成十八年(二〇〇六)年三月二日。

 母は小生の顔を見ると「与太が来たね」と言った。長男のくせに開業医のあとを継がないで、やりたいことをやっている息子に呆れていたのだ。「夏の山国母いてわれを与太と言う」 (句集 『皆之』みなの)
 その母は長寿し、小生に健康な遺伝子を遺して呉れた。餅肌も呉れた。小生の元気は母のお陰と言っても過言ではない。

 妻は小生に「土」を教えてくれた。口で教えるばかりでなく、熊谷という関東平野の土の上のまちに小生を引っぱってきて、そこに住まわせてくれた。二人の郷里である山国秩父の、山の草木を譲り受けて、猫額の庭に植えてくれた。

 妻他界のあとは益々秩父を産土
(うぶすな)と思うようになり、すでに林の観を呈してきた庭と親しんでいる。冬がくれば早々に寒紅梅の咲くのを待ち、山茱萸、まんさく、黒文字などのあと、上溝桜(うわみずさくら)の開花を見る。夏は山法師などの緑と向き合っている。秋は、妻が俳句の大作をものした曼珠沙華が庭のあちこちに咲く。

 この句集は、妻の悪性腫瘍が発見され、右腎全摘となったあとの療養生活三年目から始まっている。妻は難しい手術を成功させてくれた中津裕臣先生を慕い、先生が九十九里浜は旭市の中央病院に泌尿器科部長として栄転されたあとは、月の半分をその街に宿泊して先生の診断を受けていた。この句集の初め頃の句群は、小生もいっしょに宿泊したときのものである。 ― そして妻他界のあと三周忌を修した夏までの句でこの句集は了る。

 思えば、この八年間、小生は大事な人の他界にいくども出会ってきた。とくに、いわゆる「戦後俳句」の時期を共に句作りしてきた、原子公平、佐藤鬼房、安東次男、沢木欣二、三橋敏雄、飯田龍太、成田千空、鈴木六林男が忘れられない。安東は自由詩中心だったが、小生には俳句仲間と思えてならない。そして同年の詩人宗左近(「中句」と称して俳句に似た短詩もつくった)と、学校も勤めも一緒で俳句も一諸につくってきた浜崎敬治は、「皆子を偲ぶ会」(平成十八年六月十九日)と相前後して他界した。奇しき因縁とまで思うのだが、この句集の最後を、戦時トラック島の同じ部隊で苦楽を共にした、文字通りの戦友黒川憲三の他界で了ることにもそれを思う。

 人の(いや生きものすべての)生命
(いのち)を不滅と思い定めている小生には、これらの別れが一時の悲しみと思えていて、別のところに居所を移したかれらと、そんなに遠くなく再会できることを確信している。消滅ではなく他界。いまは悲しいが、そういつまでも悲しくはない。母はまた私を与太と言うことだろう。妻は、「あなた土を忘れたら駄目よ」とかならず言うに違いない。公平は、鬼房は・・・・。

 そして妻が闘病生活にはいってからは特に、焦らず病む人の日常に即してじっくり暮そうと臍を固めるようになっていた。幸い息子夫婦が病む妻の日常を十分と言えるほどによく支えてくれていたので、それだけに自分がうろついてはいけないと思い定めていたのである。

 この日常に即する生活姿勢によって、踏みしめる足下の土が更にしたたかに身にしみてもきた。郷里秩父への思いも行き来も深まる。徒に構えず生生しく有ること、その宜しさを思うようになる。文人面
(づら)は嫌(いや)。一茶の「荒凡夫」でゆきたい。その「愚」を美に転じていた〈生きもの感覚〉を育ててゆきたいとも願う。アニミズムということを本気で思っている。

                  平成二十一年五月二日
                  ―熊猫荘にて 金子兜太

 具体的な吟味は明日からとなる。月の句の鑑賞はその間中断となる。




858

他界1 舞台裏

090624

 人の(いや生きものすべての)生命(いのち)を不滅と思い定めている小生には、これらの別れが一時の悲しみと思えていて、別のところに居所を移したかれらと、そんなに遠くなく再会できることを確信している。消滅ではなく他界。いまは悲しいが、そういつまでも悲しくはない。母はまた私を与太と言うことだろう。妻は、「あなた土を忘れたら駄目よ」とかならず言うに違いない。公平は、鬼房は・・・・。

 ・・・消滅ではなく他界・・・ 他界とは何か。まず思い浮かぶのが、舞台裏のような所である。つまり、この世のありとあらゆる様々な出来事はすべてこの世という舞台に於ける劇である、という考え方である。その役どころ(つまり一生)を終った役者は舞台裏に引き下がって、御苦労さんでしたなどと言いながら、美酒を酌み交わすというような図である。舞台裏という言葉は狭苦しい感じがあるから、むしろ客席あるいは劇場外というほうがいいかもしれない。死後はこの壮大な宇宙劇を眺めたり眺めなかったりする位置に移るわけである。こういったような想念はかなり魅力がある。兜太の

「天地大戯場」とかや初日出づ     『東国抄』

というような素敵な句も、このような想念とつながるだろう。しかし、舞台裏のようなあるいは客席のような所に引き下がった役者は、既にその役どころとして付与された特性を失っているわけだから、・・母はまた私を与太と言うことだろう。妻は、「あなた土を忘れたら駄目よ」とかならず言うに違いない。公平は、鬼房は・・ということにはならないはずである。まあ、かつての劇中での台詞を冗談として言い合うぐらいは無きにしもあらずかもしれない・・・。とにかく、・・他界・・ということに関してまず思い浮かんだのは、人生は宇宙という大劇場を舞台にした劇の一コマであり、死というのはその役を終ってその舞台から、自由でさらに大きな場所に引き下がることである、という想念である。




859

他界2 天国と地獄

090625

 ・・・母はまた私を与太と言うことだろう。妻は、「あなた土を忘れたら駄目よ」とかならず言うに違いない。公平は、鬼房は・・・・というような条件が満たされる他界というものの可能性を考えてみた。つまり、この世で個人が持つ特性だとか個別性をそのまま保持しながら死後に行く場所ということである。そして天国と地獄あるいは極楽浄土と地獄というような想念においては、こういうこともあるかもしれないと思った。いわゆる善人は死後天国に行って和気あいあいと美しき事どもを満喫するというような考え方である。悪人は天国には行けない。なぜなら各々がその特性を保持しているわけだから、悪人は悪人としての特性を保持しているわけで、もし悪人も天国に入れるのだとしたら、その天国はもはや和気あいあいなどはしていないだろうし、とても天国といえるような代物ではない。極端にいえば、ヒトラーとアンネ・フランクがその特性を保持したまま同席するような天国はないだろうということである。そういうわけでヒトラーはまあ地獄に行ってもらうとしても、疑問は残る。人間(取りあえず、ここでは主に人間について考える)を悪人と善人にはっきり区別できるものだろうか。悪だけでできている人間はいないだろうし、善だけでできている人間もいないだろう。ヒトラーにしたって、僅かながらも女性への愛があったのだから、わずかながらの善性もあったのだろう。それではパーセンテージでこの判別はなされるだろうか。51パーセントの善と49パーセントの悪を持っていると判断されたら、その人は天国へ。その逆だったら、はい地獄へ。だいたい誰が判断するのか、閻魔様かピーターか。それともまだ地上には存在しないものすごく精巧なコンピューターか。こういうふうに考えていると、どうもこの天国や極楽浄土と地獄というような想念は子供じみてマンガチックである。結論としては、この世での特性をそのまま保持しながらの他界するという考え方には無理がありそうだ。(天国と地獄というようにしないで、この世のそっくりさんが善も悪もそのままに存在する他界というのはどうか。考えることさえ草臥れて混乱する。)
 しかし、この世での特性の精髄部分を引き継ぎながら他界するという、もう少し高度な考え方もあるにはある。輪廻転生という思想である。




860

他界3 輪廻転生

090626

 輪廻転生という思想は比較的に合理性があり平等感もあって好きな思想である。しかし、こういうものが有るかどうかは、見たわけでも知覚したわけでも記憶しているわけでもないから、解らない。しかし、有ると認めてもよい、有る可能性はある、この生の不可思議なからくりの中では有るかも知れないという程度のことはある。いやむしろ有ると仮定して物事を眺めると納得できることが多いともいえる。たとえば、あらゆる面での人間が生まれながらに背負っている差の問題である。生まれながらにたくさんの恵まれた美質を持った人、生まれながらにとても不利な質しか与えられなかった人、肉体面や精神面や環境面やその他もろもろの面において現れるこのような差の不公平は、輪廻転生という思想によってしか説明がつかないのではないか。人間はその生において与えられた質を受け入れて十全に生きることによって、さらに次の生によって次のステップである質を与えられるというような考え方である。生まれながらに優れた質を付与された者は、例えば他者に対して傲り高ぶらない訓練をするというような機会が与えられるわけだし、逆に劣った質に生まれたものは他者に対して卑屈にならない訓練の機会が与えられているわけである。一つの生は一つの機会に過ぎないというわけである。この輪廻転生という考え方が比較的に大きいと思うのは、これが人間にあてはまるだけでなく、あらゆる意識の顕現の状態である動植物や土くれの類までその適用範囲が広げられるかもしれないということにもある。この輪廻転生も・・消滅ではなく他界・・ということに当てはまる。この輪廻転生における他界は蜿蜿と繰り返されるわけであるが、そのことが逆にこの思想の不自由さや草臥れる感じを引き起こすのであるが、しかしこの思想では、そのことに対しての解決まで用意してあるところが素晴らしい。いろいろな表現があるが、つまり‘解脱’ということである。完全なる無欲になった者、無欲でありたいという欲からも無欲になった者だけが達する状態である。この輪廻転生の限りない鎖の輪からも自由になるという最終的な悟りの状態である。‘大きな死’ともいうし‘涅槃’ともいうこの状態においては、輪廻そのものから外れてしまう、あるいは輪廻そのものが自己の一つの微細な部分であるように感じられる状態、すなわち自己が宇宙そのもの、存在そのものであるような状態である。‘汝はそれである’という状態である。


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