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蕉門を読む 曽良

曽良 1

鑑賞日 2007/1/17
くりかへし麦のうねぬふ小蝶哉
 叙景句。「ぬふ」が工夫。

曽良 2

鑑賞日 2007/1/18
はなの秋草に喰あく野馬哉
 秋草の花が咲いている野原で放し飼いの馬がその秋草を喰うのにも飽きてのんびりしているというような景色であろう。秋の野の情というもの。

曽良 3

鑑賞日 2007/1/19
卯の花をかざしに関のはれ着哉
 〈誰人やらん衣冠たヾしてこの関を越えたまふという事、清輔が袋草紙に見えたり。上古の風雅誠に有難くおぼえ侍りて〉と前説

 この句は芭蕉との〈おくのほそ道〉の旅で白河の関を越える時の句である。昔の人はこの関を越えるときは衣冠をただしたというが、自分たちは貧しい旅の者、衣冠をただすかわりに卯の花をかざしにしてこの関を越ようと思う、というのである。まことにこの〈おくのほそ道〉の旅の質が現われているような句である。心の弾み、そして風雅の心である。


曽良 4

鑑賞日 2007/1/20
破垣やわざと鹿子のかよひ道
破垣(やれがき)
鹿子(かのこ)
 〈題去来之嵯峨落柿舎〉と前書

 落柿舎は去来の別宅で芭蕉もしばしば訪れて「嵯峨日記」などを執筆した所である。その風雅な風情を慈しんで書いている。


曽良 5

鑑賞日 2007/1/21
終夜秋風きくや裏の山
終夜(よもすがら)
 〈加賀の全昌寺に宿素〉と前書

 〈おくのほそ道〉の旅の途中で、病の為に芭蕉と別れて加賀の全昌寺に泊ったときの吟であるらしい。やはりこの曽良の状況と重ね合わせて鑑賞したほうがよくその心情を理解できる。そうでないと、あまりにも寂しいだけの句である。句の裏に芭蕉への気持ちを感じないと、ということである。


曽良 6

鑑賞日 2007/1/22
いづくにかたふれ臥とも萩の原
臥(ふす)
 昨日の句と同じく、〈おくのほそ道〉の旅で病のために芭蕉と別れてひとり先行したときの句である。
 こういう心持ちが無ければ風雅の道など歩けない。どこで野垂れ死にしようとも、そこは自然天然の美の中であるから自分は後悔しない、ということである。ある意味では芭蕉の「野ざらしを心に風のしむ身かな」よりも上を行った意識である。

曽良 7

鑑賞日 2007/1/23
むつかしき拍子も見えず里神楽
里神楽(さとかぐら)
 里神楽の鄙びた感じが出ているのではないか。

曽良 8

鑑賞日 2007/1/24
蚕がひする人は古代のすがたかな
蚕(こ)
 曽良は特に感覚に秀でているというのでもないし、才気に溢れているというのではないが、素朴で安定感のある句を作るという印象である。この句も素直な言葉遣いで厚みもある。

曽良 9

鑑賞日 2007/1/25
剃捨て黒髪山に衣更
剃捨(そりすて)
 これは「おくのほそ道」の黒髪山(日光山の主峰男体山のこと)の所に出てくる句であり、芭蕉が作って曽良の作としたという説もあるそうである。
 言葉遊びがあるから文脈が解りにくいが要するに、髪を剃り捨てて衣更をして旅への決意を新たにした、ということである。その事を黒髪山にちなんで強く言い切ったのである。(事実は江戸を立つ時に剃髪をして墨染の衣に着替えていたらしいから、ここではその僧服を夏用のものに衣更したということ)
 芭蕉の代作らしいのは、句に力があるからである。

曽良 10

鑑賞日 2007/1/26
かさねとは八重撫子の名なるべし
 これも「おくのほそ道」の中の有名な句であるが、やはり芭蕉の代作臭いと言われている。句に何とも言えない艶があるので、私も代作だという印象がある。曽良と言えば、芭蕉とおくのほそ道の旅へ同行した者という印象が彼の句以上に強くある。幸運な男だった。しかし芭蕉も彼がいたおかげでおくのほそ道の旅が充実したものになったのである。
 この句は旅の途中で逢った少女の名が「かさね」ということを聞いて作られた句である。

曽良 11

鑑賞日 2007/1/27
病僧の庭はく梅のさかり哉
 「病僧」と「梅のさかり」という対立をもってきて、命というものの感じが出ているのではないか。

曽良 12

鑑賞日 2007/1/28
こねかへす道も師走の市のさま
 「こねかへす」というのが雨が降った泥道を人や馬車などが往来してどろどろになっている感じがよく出ているのではないか。
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