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金子兜太全句鑑賞101〜110 (『少年』30〜39)

101/shounen-30

句集『少年一部
-東京時代-

ためらいつ毛虫歩むや石ばかり
昭和15〜18
(1940〜1943)
21歳〜24歳
鑑賞日
2004年
6月26日
 「毛虫」が作者の自画像であり、「石ばかり」が状況であろう。こう考えてこの辺りの句を見回してみると、次のように負の心理状態と取れるものが多い。

 薔薇よりも淋しき色にマッチの焔
 槻夏木この路次来るごと都忌む
 わらんべの蛇投げ捨つる湖の荒れ
 なめくじり寂光を負い鶏のそば
 吾が顔の憎しや蝌蚪の水にかがみ
 百日紅まことの愛は遂になし
 昼の虫まなこ開けば屋根ばかり

 金子兜太を読んでいて面白いのは、心の揺れをそのまま句にするところである。「人間とはこういうものだなあ」と思うのである。現在私は高浜虚子も読んでいるのだが、虚子の場合、「物事はこう見るべきだ」あるいは「自分はこういう人間だ」と決めてしまっているところがあって、鑑賞者としては面白くないところがある。それに比べて兜太の句には鑑賞の醍醐味があると言える。何が出てくるか分らないからである。
 人間存在は茫々として広大なのである。


102/shounen-31

句集『少年一部
-東京時代-

枕木の山に稲妻ふるさとへ
昭和15〜18
(1940〜1943)
21歳〜24歳
鑑賞日
2004年
6月27日
 101の鑑賞で書いたように、負の心理状態の句が並んでいて、突然この「ふるさとへ」の句が出てくると、そこにある関連を見てしまう。都会生活での方向が見えない自分、負の感情ばかりがやって来る、一度自分の原点である産土の地へ帰ってみるか、というような筋書きである。
 故郷行きを決めてから汽車に乗ろうとしていたら枕木に稲妻が走った、と見る取り方がある。また、枕木に稲妻が走った、何かが自分の中で弾けた、故郷行きを決心した、という取り方もある。後者の方が筋書きとしては面白い。

103/shounen-32

句集『少年一部
-東京時代-

曼珠沙華どれも腹出し秩父の子
昭和15〜18
(1940〜1943)
21歳〜24歳
鑑賞日
2004年
6月28日
 連作ではないのだから、102に取り上げた句と関連づけて読んでしまうのはよくないとは思うが、この「曼珠沙華・・・」の前後に並んでいる句はどれも故郷の一つ一つの出来事に親しみを覚え且つほっとしている作者の目が感じられる。

 青栗が落ちているなり親指冷ゆ
 首に弁当秋の蜂など山が聳え
 棉の実を袂より出してみせてくれる
 あけびの実軽しつぶてとして重し
 茸汁親類縁者に灯が二つ
 山脈のひと隅あかし蚕のねむり
 十六夜や夜明けてもなお林檎の香
 井戸に水飲む人みつつ語る秋燈下

等々である。 
 そしてその最たるものがこの「曼珠沙華どれも腹出し秩父の子」である。この句の22句前に「マッチ箱に玉虫入れて都の子」というのがあったが比較してみると面白い。
 「秩父の子等はみんな腹を出して遊んでいる。それは曼珠沙華が腹を出して咲いているように素朴で美しいじゃないか。この土地で育った俺は決して都会人のように外面を繕って生きて行く必要はないじゃないか。」という感慨が兜太にありはしなかったか。


104/shounen-33

句集『少年一部
-東京時代-

新秋や女体かがやき夢了る
昭和15〜18
(1940〜1943)
21歳〜24歳
鑑賞日
2004年
6月29日
 まぶしくもあり、また気恥ずかしくもある。この二つを検証してみよう。
 この「新秋」がくせ者である。
 クールな皮膚感覚をともなった「新秋」と「女体かがやき」とで圧倒的なまぶしさがある。
 また一方「新秋」にはどうしても日本的な風土感があり、この日本的な風土感では「女体かがやき夢了る」という直裁で強い言葉を支え切れないものがあり、どうしても少々淫靡な感じに流れるのである。
 他の作者にも「女体」という言葉を使った句は沢山有るが、兜太ほどドーンと直裁に書いた人はいない。このドーンとした書き方を「新秋」という日本的な風情では支えきれないということなのである。
 兜太には後年「華麗な墓原女陰あらわに村眠り」という秀作があるが、ここではいわば生を象徴する強い言葉「女陰あらわ」を死を象徴する言葉「華麗な墓原」がしっかりと支えているのである。
 少し余談になるが、インドには男根崇拝がある。これはシヴァリンガ(シヴァの男根)を崇拝するのであるがシヴァは破壊の神であり、言わば死の神なのである。またカーリー女神への信仰もある。カーリー女神の像は素裸の美人なのであるが、その首には生首で作られた首飾りが掛けられているし手には切り取ったばかりの血のしたたっている生首を持っているという具合なのである。何が言いたいかというと、強い生への希求は常に死の影を伴っていないとバランスが取れないということなのである。
 カーリーの像の写真をネットで探してみた。私のイメージにぴったりのはなかったが一つだけ紹介しよう。


http://www.paganpaths.net/kali.htmlより転載させていただきました。


105/shounen-34

句集『少年一部
-東京時代-

土間口に夕枯野見ゆ桃色に
昭和15〜18
(1940〜1943)
21歳〜24歳
鑑賞日
2004年
6月30日
 虚子の代表作に「遠山に日の当りたる枯野かな」がある。これも夕暮れの枯野という感じを受ける。虚子のこの句の場合、自己を滅却して自然を享受している、いわゆる自然随順の態度である。この句の場合この態度が上手くいったので我々は夕暮れの枯野の穏やかで懐の深い雰囲気を堪能できるわけである。古典絵画に近い手法である。
 一方この兜太句の場合、夕枯野そのものの雰囲気はそれほど問題にはされていない。むしろその色彩が問題にされている。夕枯野の色彩を感覚的に受け取って、自己の象徴とも言い得る「土間口」と融合させて画面構成を果たしているのである。自己の自然随順ではなく、自己と自然との一体化である。色彩豊かな近代絵画を思わせる。
 同じような句で一茶に「戸口から青みな月の月夜哉」があるが、私はこの「戸口から・・」のからと「土間口に・・」のの違いに人間の自我意識の発達を見るのだが、いかがだろうか。

106/shounen-35

句集『少年一部
-東京時代-

木曾のなあ木曾の炭馬ならび糞る
昭和15〜18
(1940〜1943)
21歳〜24歳
鑑賞日
2004年
7月1日
 〈糞る〉は[まる]とルビ

 私は兜太の句を読み進めている時にピカソの絵画を連想することがしばしばある。例えば105で取り上げた句などもキュービズムの雰囲気がないとは言えない。
 以前、ピカソの芸術はその根っ子がスペインの風土にある、という評論を読んだことがある。このことは私にははっきりとは分らないが、この「木曾のなあ・・・」などの兜太句を読むと逆にピカソもスペインという風土にその根っ子がある、と類推できる気がする。つまり、兜太が俳句に於て近代的な取り組みをしたのと合わせて日本的な土着感を持っているという事を考えると、ピカソに於ても「さもありなん」という類推である。

 なお『木曾節』を知らない人の為にその歌詞を紹介します。

 木曾のナー 中乗りさん
 木曾の御岳さんは ナンチャラホイ
 夏でも寒い ヨイヨイヨイ
   アラ ヨイヨイヨイノヨイヨイヨイ
          (くり返し)

 袷(あわしょ)ナー 中乗りさん
 袷やりたや ナンチャラホイ
 足袋を 添えて  ヨイヨイヨイ
  
 袷(あわしょ) ナー 中乗りさん
 袷ばかりは ナンチャラホイ
 やられもせまい ヨイヨイヨイ

 羽織ナー 中乗りさん
 羽織仕立てて ナンチャラホイ
 足袋を添えて ヨイヨイヨイ

 男ナー 中乗りさん
 男伊達なら ナンチャラホイ
 あの木曽川の ヨイヨイヨイ


107/shounen-36

句集『少年一部
-東京時代-

落椿蟻うつむきて近より来
昭和15〜18
(1940〜1943)
21歳〜24歳
鑑賞日
2004年
7月2日
 頂いたのは、「うつむきてちかより来」が面白かったからである。うつむく筈のない蟻がうつむいて近づいて来る。作者の気持ちの投影があるのかも知れないが、最終的には小さなものがクローズアップされて描かれた絵画を見るようだ。「うつむきて近より来」はこの小さな世界へ目を向けさせる為の仕掛けとも言える。
 蕪村の「牡丹散て打かさなりぬ二三片」も落ちた花に焦点を絞って描いたものだが、これは日本画、兜太句はアニメーションである。
 アニメーションという言葉はアニミズムから来ているそうである。アニミズムとは「自然界のあらゆる事物は形象を持つだけでなく、霊魂や精霊を持つ」という考え方であるが、つまり兜太句にはそういう要素が加わっている。

108/shounen-37

句集『少年一部
-東京時代-

赤蟻這うひとつの火山礫拾う
昭和15〜18
(1940〜1943)
21歳〜24歳
鑑賞日
2004年
7月3日
 107で鑑賞した句も含めてこの辺りに並んでいる句を見ると、作者の心のあり方が定まらずに揺れているという感じがする。あまり大きな揺れではないので私もその実態がしっかりとは掴めない。これらの句を並べて書いてみれば分ると思うが、暗くなったり、明るくなったり、焦りがあったり、惑ったり、という小さな揺れが感じられる。(興味のある方は『少年』をお読みください。)
 そしてこの句。この句もそんなに心意がはっきりしているわけではないが、何か大事な物を拾ったという感じを受ける。何かの印のような物。だから、この辺りの句を読んでいて、一つの句点が打たれたような感じをこの句から受けたのである。
 この印がなんの印であるかをあれこれ推測するのは詩を味わう本質からずれるかもしれないが、深読みさせてもらう。この時、作者はもうすぐ戦場に行く身であった。「火山礫」は戦場の象徴であり、赤蟻は作者自身の象徴である。この「火山礫」を拾うことによって、またこの句を成すことによって、作者自身が〈戦場にいることになるであろう自分〉を受け入れたのである。
 こういう読みをすると、この句が私にとっても深い意味を持って胸に迫ってくる。私にとっても「生きる」とは「火山礫を蟻が這っている」ようなものなのかもしれないのである。そしてこの句は客観的にその覚悟を与えてくれる。この「・・ひとつの・・」という言葉に私は作者の美しい覚悟を感じるのである。

109/shounen-38

句集『少年一部
-東京時代-

愛欲るや黄の朝焼に犬佇てり
昭和15〜18
(1940〜1943)
21歳〜24歳
鑑賞日
2004年
7月7日
 100で「まことの愛は遂になし」と言い放ったが、ここでは愛を欲している。心の揺れである。この辺りが金子兜太を読む醍醐味で、読む人を飽きさせない。
 心の揺れをそのまま句にしてゆく、というのは難しい。心というのはどんな未知の領域に踏み込んでいくか予測がつかないからである。美しいと感じる領域に踏み込むこともあれば、醜い、カッコ悪い領域に踏み込むこともある。どんな状態の心も受け入れて表出していくというのはかなりのタフさが必要なのである。
 また様々な状態の心を見つめている一貫した「無心」が必要だとも言える。まさに〈老子無心の旅に住む〉ということである。
 この句、「黄の朝焼に犬佇てり」が「愛欲るや」を受けて説得力がある。

110/shounen-39

句集『少年一部
-東京時代-

階段の真夜の灯山蛾あざれおり
昭和15〜18
(1940〜1943)
21歳〜24歳
鑑賞日
2004年
7月8日
 『生長』にあった「捨てし蛾のまた窓を打つ霧ふらし」という美しい句を思い出した。また、兜太には「蛾のまなこ赤光なれば海を恋う」を筆頭に蛾の句が多いなあ、という感じも抱いた。蛾には申し訳ないが蛾があまり好きではない私だからそう思うのかも知れないが、こういう素材をどんどん書いてゆく兜太はやはり山国育ちだからだろうか。
 蛾は蝶よりも醜いと思われるが、こういうものをどんどん取り上げて書く兜太の態度にはやはり一元論的な「全てのものは一つだ」という感じ方が本来備わっているに違いない。「酌婦来る灯取虫より汚きが」と詠んだ虚子の態度とは大分違う。
 この兜太の一元論的な態度は見習うべき価値がある。
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