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金子兜太全句鑑賞141〜150 (『少年』70〜79)

141/shounen-70

句集『少年二部
-福島にて-

「朝日のもとで読め」という詩を木枯に
昭和26〜28
(1951〜1953)
32歳〜34歳
鑑賞日
2004年
8月14日
 〈ランボーの手紙を読んでいて〉という前書がある

 私はランボーを読んだことがない。詩というものを殆ど読んだことがないと言える。しかし、ランボーへの憧れのようなものはあって何度か読もうとしたが入っていけなかった。この憧れはどこから来たかというと、かつて長沢哲夫が「ランボーが俺を此処まで連れて来てくれた」と言ったからである。三十年以上も前の話である。かつて日本でもヒッピームーブメントがあって、私もその端くれだったのであるが、長沢哲夫はそのリーダー格の尊敬できる人物であった。現在彼はトカラ列島の諏訪の瀬島で漁師をしている詩人である。
 だからランボーに対しては憧れがあった。青春の日の憧れである。実はこの兜太句を読んで、そんな甘酸っぱいような憧れの気持ちが蘇ってきたので、本棚からランボー詩集を取りだしてぱらぱらと読んでみたのだが、やはり私には入っていけなかったのである。

 さてこの句の最後の「に」であるが、いろいろに取れる。「・・に読む」「・・に掲げる」「・・に飛ばす」等々いろいろあるが決定しない。私は「・・・に掛ける」などという受け取り方が最初に感受されたが、結局意味を決定しないであいまいなまま読んでおけば良いだろうということになった。
 いずれにしても、青春の日のある種の明るさのようなものを感じる。希望があったり、時々は暗いものに陥ったり、そんな名状しがたい青春の時のある種の明るさである。


142/shounen-71

句集『少年二部
-福島にて-

きょお!と喚いてこの汽車はゆく新緑の中
昭和26〜28
(1951〜1953)
32歳〜34歳
鑑賞日
2004年
8月15日
 もちろんこの句は「きょお!と喚く」という言葉が魅力の句である。「きょお!」という擬声語と「喚く」という通常は動物が行う動作を表す言葉のダブル効果で、この汽車はすっかり生き物になっている。そして「新緑」という爽やかな季節の言葉の取りあわせで、この時の作者の弾んだ気持ちが見事に表されている。
 ずっと私はこの「喚いて」を[ないて]と読んでいて、それでも充分に享受できていたが、やはり喚(わめ)いてのほうがずっと野性的でダイナミックな感じがある。この汽車は兜太自身の自画像でもあるだろう。

143/shounen-72

句集『少年二部
-福島にて-

雪山の向うの夜火事母なき妻
昭和26〜28
(1951〜1953)
32歳〜34歳
鑑賞日
2004年
8月16日
 〈義母二十七年十二月逝く〉と前書 

 実母ではなく義母の死。その死は多分妻を通してしか味わうことができない。実母の死よりは遠くのものと感ずるのだ。うっすらとおぼろげながら、不穏な感じが漂う。夫としては妻を見守るしかない、がその目は温かい。

 私事になるが、去る八月十一日に私は実母を亡くした。その時の連作をここに掲載させて頂きたいと思います。以下

〈訃報〉
月見草群れ咲く朝に母の訃報
八月の樹々は光りて母逝けり
母死ねど大根も蒔かねばと思う
ははきぎの母は逝きけりははきぎの
帚木は母に似し草涙はしる
地を覆う葛の命に母逝けり
青栗の山路を後に亡母のもとへ
〈屍室
我と母二つの死体屍室
尿意とは温かきもの屍室
屍室死という謎と横たわる
空腹のもはや無き母ビールを飲みまする
母よ出で来てビールなど飲み給え
糖尿の母なれば饅頭などもよろし
〈実家〉
母の死後庭の笹葉の静かな
笹茂る無言の光庭に満ち
〈山の我家に帰りて
「理想持ち地に立て」と母は言いしか大根蒔く


144/shounen-73

句集『少年二部
-福島にて-

夫妻の写真悲しく正しく人垣中
昭和26〜28
(1951〜1953)
32歳〜34歳
鑑賞日
2004年
8月17日
 〈ローゼン・バーグ夫妻の死刑に人権の危機を感じつつ 二句〉と前書のある一句目

 〈ローゼン・バーグ夫妻〉をネットで調べてみたが分らなかった。前書から人権運動・反権力運動・民主運動などをした夫妻ではないかと推察する。
 「・・悲しく正しく人垣中」、大げさな話だがキリストの十字架刑を連想する。いや、そういう事を連想しないと心が癒されない。〈正しいものが悲しい時代〉を句全体から感じるのだが、それだけの筋書きでは私は癒されない。キリストは復活した。このローゼン・バーグ夫妻も何らかの形で復活したと考えたい。そういう筋書きをこの一句に付け加えて私の鑑賞としたい気持ちなのである。

 この前書のある句の二句目は「物象なき死刑を怒る壁に階に」である。今、思い至ったのだが、ローゼン・バーグ夫妻は人々の思いの中に復活したと言えるかも知れない。少なくも兜太の思いの中へは復活したのである。


145/shounen-74

句集『少年二部
-福島にて-

墓地の熱砂蜂追う眼底に白く出づ
昭和26〜28
(1951〜1953)
32歳〜34歳
鑑賞日
2004年
8月18日
 「墓地の熱砂」であるから、この墓地はまぎれもなくトラック島での戦死者達の墓地であろう。その熱砂が眼底に白く現れるというのである。私にはこの句の一つ一つの言葉が暗喩に満ちている気がする。
 墓地・・戦友達の墓場でもあり、兜太自身の墓場でもある。私は感性豊かな人が戦場という場所で沢山の友人達の死や自分自身の死の危険に遭遇した場合、必ず彼は意識の上でそこで一度死ぬのであり、それ以後の生はその死からの再生という意味を帯びて来る。
 熱砂・・単に砂ではなく熱砂である。一度死を深く体験した者は、その再生にあたって、それ以前よりも生に対して熱い思いを抱くことが出来る。違う言葉で言えば、より深い愛をもって生きてゆくことが出来る。そういう意識の象徴としての熱砂である。
 蜂・・生きて行く上でやって来る様々な困難の表象である。
 眼底・・意識の深い所。
 白・・私はこの「白」については〈白い人影はるばる田をゆく消えぬために〉などの句のところでも述べたいと思っているが、人間の意識の奥にあるいわば生(せい)の色であると思っている。無色に近い白である。黒も無色に近いが、これはいわば死の色である。

 これらの事を総合して考えると、この句は自分の生の意味を再確認している句である、と言える。


146/shounen-75

句集『少年二部
-福島にて-

刈り草に吾れ伏し睡る貧者の村
昭和26〜28
(1951〜1953)
32歳〜34歳
鑑賞日
2004年
8月19日
 〈神戸に転勤と決り猪苗代湖畔に友等と泊る 八句〉と前書のある三句目

 興味を持ったのは、この前書のある句群に〈草刈〉の句が三句もあることである。その三句を並べて見る。

1)刈られし草己ずと整然草刈りゆく
2)刈り草に吾れ伏し睡る貧者の村
3)草刈りの刈りたる草が陽当る場所

 年譜によると《1950年(三十一歳)六月、朝鮮戦争勃発。レッドパージ広がり、各労働騒然。十二月、組合を退かされ、福島支店に転勤。・・・1953年(三十四歳)九月、神戸支店に転勤。》などとある。だからどうしてもこの「草刈る」という言葉が、労働運動や社会運動をする人達を経営者側が弾圧・整理するという事を言ったものと思わざるを得ない。1)はその事実を皮肉を込めて書いたもの。2)はその事実を受け止めて、自分は貧者の側にあるのだという事を噛みしめている。3)は、いや実は刈られし者の側に陽は当っているのだという慰めに似た気持ちを書いている、と取れる。
 そしてこの猪苗代湖畔に行ったのは〈刈られし者達〉の仲間だったのだろうか。この前書のある句の七句目は「庭園に蝉とめどなく鳴く別れ」と、切切と友等との別れを惜しんでいる。
 こういう筋書きを考えると、この〈福島にて〉という章の最後に出てくる傲然とした感じの次の一句がよく分るのである。


147/shounen-76

句集『少年二部
-福島にて-

暗闇の下山くちびるをぶ厚くし
昭和26〜28
(1951〜1953)
32歳〜34歳
鑑賞日
2004年
8月20日
 負の状況の中へ傲然とした態度で入って行くような雰囲気。
 〈神戸に転勤と決り猪苗代湖畔に友等と泊る〉という前書のある八句の後に出てくる一句である。組合の代表委員になり組合活動に専念した者にとっては、よほどの事がない限りその組織の中での出世はあり得ない。これは私自身の父がそうであったから良くわかる。だからこの転勤は栄転ではなく、窓際へ飛ばされたというものであろう。「下山」は猪苗代湖畔(標高514m)からの下山と取れるし、それはまさに「暗闇の下山」という感じを作者は抱いたに違いない。
 さて「くちびるをぶ厚くし」という措辞で、憮然とした更には傲然とした面持ちが感じられ、また言葉を巧みに操る兜太の「俺は言葉を武器ににして生き抜いてやる」といった決意のようなものが感じられる。
 また兜太は一茶の「けし提げて喧嘩の中を通りけり」が好きだと言っているが、この兜太の句とこの一茶の句は心持ちがよく似ている。

148/shounen-77

句集『少年三部
-神戸にて-

黒牛遊ばせ青年磧をめぐり歩く
昭和29〜30
(1954〜1955)
35歳〜36歳
鑑賞日
2004年
8月21日
 『少年』三部の〈神戸にて〉の冒頭に三句ばかり「牛」の出てくる句がある。その三句目である。ちなみに一句目と二句目は次である

 秋暑にてめんめんと牛が馬が躍る
 外套の中に子を負い牛を避く

 作者の住居の近くに牧場のような場所があったのだろうと推測する。しかし単なるこれらの事実があったというだけではなく、「牛」というものが何かの象徴とも取れる。私の頭に浮かんで来たのは〈禅の十牛図〉である。〈禅の十牛図〉では「牛」は真の自己の象徴、あるいは自己のエネルギーの象徴として描かれている。真の自己に到る求道の段階を十の図で表しているのであるが、これは十二世紀の禅僧である廓庵という人が描いたものらしい。
 この兜太句の「牛」と自己のエネルギーの象徴としての「牛」をダブらせて読んでみるのも面白いと思ったわけである。

〈禅の十牛図〉は次のサイトが比較的に分かりやすい。
http://wwwdoi.elec.nara-k.ac.jp/html/hiranoya/cow/cow.html


149/shounen-78

句集『少年三部
-神戸にて-

白い石ごろごろニコヨンの子が凍え
昭和29〜30
(1954〜1955)
35歳〜36歳
鑑賞日
2004年
8月22日
 『少年』のこの句の次の次に「白いホームの端で火おこす転轍手」という句もある。句自体ではなくこの「白」に興味を持ったのである。
 この二句の白は、後に出てくる「白い人影はるばる田をゆく消えぬために」の白とは全然違う。「白い人影・・・」の白が〈いのちの白〉であるのに対して、この二句の白は負の感情を伴った白であり、「白けた」という表現が似合うような意識の表層に漂うような感じの白である。
 芭蕉などにも〈いのちの白〉とそうでないものがある。「明けぼのや白魚しろきこと一寸」や「海暮れて鴨の声ほのかに白し」の白は〈いのちの白〉であり、「石山の石より白し秋の風」の白は意識の表層に漂う白けた感情の白である。
 『少年』のこの兜太句がある付近には荒んだ感じの神戸の街の様子が表現されているが、そのような状況が作者の心を白けさせていたのかも知れない。ただ「白いホームの端で火おこす転轍手」には後半部分に希望が出ている。

150/shounen-79

句集『少年三部
-神戸にて-

屋上に洗濯の妻空母海に
昭和29〜30
(1954〜1955)
35歳〜36歳
鑑賞日
2004年
8月23日
 次の次に「娼窟に縄とびの縄ちらちらす」という句がある。どちらもそぐわない二物の配合である。
 縄飛びは子供の遊びであり、人間性の無垢で純なものを連想させる。一方、娼窟は貶められた人間性の象徴のようなものである。しかしこの句に感ずるのは、抹殺しようとしても抹殺しきれない人間性であり、僅かながらも希望がちらちらと灯っている。
 一方この「屋上に洗濯の妻空母海に」は逆に、不気味な不安感が漂う。

 良きものの側にある時は悪の脅威に不安感がつのり、悪の側にあるときは良きものへの希望がある、ということになる。とかくこの世は住みにくい。

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