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金子兜太全句集鑑賞361〜373(『詩經國風』21〜33)

361/sikyoukokufuu 21

句集『詩經國風

五 衛風 1 風、風と同じ衛の国のうた。十篇。
旅次にして海獣のさびしさのサーフィン
昭和56〜60
1981〜1985
62歳〜66歳
鑑賞日
2005年
5/14

 〈そして、日本列島の東国房総 十九句〉と前書のある句の十九句目

 穏やかな孤心というような感じがただよっている句である。
 兜太は『遊牧集』の後書で、情(ふたりごころ)を深めて行くことがこれからの自分の課題だ、という意味の事を書いている。この掲出句も含めこの辺りに散見される句は、その情(ふたりごころ)への旅次におけるたゆたいのような気がしてくる。物事を成就するのはそうすんなりとはいかないのである。

 情(ふたりごころ)ということを私なりに理解すればこうである。人間は成長の過程において、個人となって、ある意味ではエゴイスティックになって、自己をあるいは真理を探求しなければならない。そしてそれは成就されなければならない。しかしこれは人間としての旅の半分に過ぎないのである。あとの半分は、その獲得したものを落とすという過程である。自己を獲得したのならば自己を。無を獲得したのならば無を。真理を獲得したのならば真理を。とにかく獲得したものは落とされなければならない。この旅が情(ふたりごころ)への旅である。そしてあえて言えばこの旅は永遠に続く、成就してしまったという完結はない。
 別の言葉で言えば、情(ふたりごころ)とは菩薩道であろう。 


362/sikyoukokufuu 22

句集『詩經國風

六 衛風 2 
四頭の雄馬と烈女白鳥座
昭和56〜60
1981〜1985
62歳〜66歳
鑑賞日
2005年
5/15

 〈雄馬〉は[おうま]とルビ

 白鳥座はもちろんであるが、雄馬も烈女もすべてが星座であるようなきりっとした美しさがある。「原始女性は太陽であった」という平塚らいてふの言葉があるが、女性がしっかりと生き生きしている時代は、極端に走らない均衡のとれた時代に思えてならない。星座がバランスを持って天空を運行しているように。

 「白サルビアきっと女性が地を救う」などという私の下手な句があるが、兜太が詩人だなあと思うのは、このように考えを述べずに事実だけを提示することである。その方がイメージの広がりがあるし、鼻につかない。


363/sikyoukokufuu 23

句集『詩經國風

六 衛風 2 
雨降れよと言うに日が照る伯恋し
昭和56〜60
1981〜1985
62歳〜66歳
鑑賞日
2005年
5/16

 〈伯〉は[つま]とルビ。〈伯は女性が夫と呼ぶ語〉と注

 何年か前の演歌に「雨雨降れ降れもっと降れ、わたしのいい人連れて来い・・・」というのがあったのを思い出した。かわいらしく身勝手な恋の思いである。女性の恋の歌にはこのような自然の事象を自分の恋心に引きつけて歌っているのが多いのではないか。「ふたりのため世界はあるの・・・」などというのもあった。
 この句ではそれをさらりと書いているから余計に可笑しさがこみ上げてくる。俳句の味であろうか。


364/sikyoukokufuu 24

句集『詩經國風

六 衛風 2 
主知的に透明の石鯛の肉め
昭和56〜60
1981〜1985
62歳〜66歳
鑑賞日
2005年
5/17

 〈そして、日本列島の若狭 十二句〉と前書のある六句目

 自分がその時に抱いている思いと外側の事物がうまく結合したときに面白い句ができることがある。この句などはその例ではなかろうか。物事を主知的に割り切っていく在り方、またはそのような人物には冷たい透明さのようなものがある。しかし、世の中そんなふうに割り切って生きられるものではないし、そのような在り方は部分的な存在の在り方に過ぎない、というような思いが作者の中に日頃あったのではなかろうか。そしていまだ言葉になっていないそのような思いが、石鯛の透明感のある肉を見たときに俳句の言葉として結実したのではないか。この句には吐き出されたような言葉の力強さがある。だから、この句を言葉に出して言うと気持ちが良い。
 また逆に、思いと事物が上手く結合したときには、その事物の形容としても面白いものが出てくる。だから、この句は石鯛の肉を描写したものだと単純に見ても優れたものがある。
 すなわち主観と客観の一致を果たした句であると言えるのではないか。
 同じような出来方の句だと思われる阪口涯子の「れんぎょう雪やなぎあんたんとして髪だ」も好きな句の一つで忘れられない。


365/sikyoukokufuu 25

句集『詩經國風

六 衛風 2 
若狭乙女美し美しと鳴く冬の鳥
昭和56〜60
1981〜1985
62歳〜66歳
鑑賞日
2005年
5/18

 〈そして、日本列島の若狭 十二句〉と前書のある十一句目
 〈美し美し〉は[はしはし]とルビ

 すべての言葉が無駄なくバランスが良い。地名の効果も大きいし、意味と擬声語を兼ねた「美し美し」の効果も大きいし、冬の鳥という季語もダブルイメージ(作者自身と鳥)があって効果的である。
 冬の若狭地方を旅する作者の新鮮で若々しい気分に満ちた句である。


366/sikyoukokufuu 26

句集『詩經國風

七 王風 周王室が西方の異民族をさけて、都を、それまでの鎬京(陜西省)から洛陽(河南省)に移した頃の、新都および周辺地帯のうた。東周時代のはじまりで、周の力はとみに衰えていた。十篇 
白椿老僧みずみずしく遊ぶ
昭和56〜60
1981〜1985
62歳〜66歳
鑑賞日
2005年
5/19

 〈そして、日本列島の大和 五句〉と前書のある一句目

 老僧と言えば、いかにも自分は何かを知っていますよという面をした僧だとか、疲れた単なる職業としての葬式屋であるとか、を思いだすのであるが、この句の老僧は僧の理想形が表現されているように思う。もし真の僧であれば、この句のようにみずみずしさに溢れていることであろう。何もしかつめらしく経文をオームのように読み、抹香臭さを漂わせているのが僧ではない。真の僧であるならば、彼からは自ずからなる存在の香りが漂ってくるはずのものなのである。
 だから、私はこの句のような老僧が現実のものなのか疑わしいものがある。作者のイメージの中にあったのではないか、などと思う。
 この句に続いて

馬酔木咲く向うで欠伸夢の僧
春寒の老僧ちぢみやまぬかな
去勢の猫と去勢せぬ僧春の日に

などという僧の句が続くが、現実の僧と作者のイメージの中の僧の重なり合いを感じるのではある。


367/sikyoukokufuu 27

句集『詩經國風

八 風・七月周王朝創業期の歌で周南召南と同じ。周民族の祖先は陝西省の西北隅、けい水の上流、岐山を南にひかえた高原地帯で農事にいそしんでいた。そこをひんという。「七月」のうたはひん風七篇のうちの一篇で、周公がその頃を追懐してうたった農事暦のうた。
文月や野に瓜食めば火は流れり
昭和56〜60
1981〜1985
62歳〜66歳
鑑賞日
2005年
5/20

 〈流〉は[くだ]とルビ。
 〈流火。火はサソリ座のアンタレスのこと。流は下る。西方に位置が下ると気候は寒さに向う。〉と注

 風は農事暦のうただそうである。昔は今のようなしっかりした暦がないから天体の運行などを頼りにして農事を決めていたのだろう。それだけ自然の変化に対する感受性は強かったに違いない。今でも農村の老人などはこの感受性を持っていることがある。私の近所の高齢の老婆が「今日は雨になるでえ」などと言うと雨になることがよくある。残念ながら私にはそれ程の自然感覚はない、だから種まきの時期などはこの人の真似をして決めることがしばしばなのである。
 この句、人間の生活が自然の運行と切り離されていない時代、人間が自然の一部であった時代の、スケールの大きな生活感を感じる。


368/sikyoukokufuu 28

句集『詩經國風

八 風・七月周王朝創業期の歌で周南召南と同じ。周民族の祖先は陝西省の西北隅、けい水の上流、岐山を南にひかえた高原地帯で農事にいそしんでいた。そこをひんという。「七月」のうたはひん風七篇のうちの一篇で、周公がその頃を追懐してうたった農事暦のうた。
霜月や狸にも会う貉獲り
昭和56〜60
1981〜1985
62歳〜66歳
鑑賞日
2005年
5/21

 〈貉獲り〉は[むじなとり]とルビ

 なんとなく可笑しい。笑い心をくすぐってくる。貉(むじな)を獲りに行って狸にも会った、ということが何故可笑しいのか。
 貉はアナグマのことで狸に似ている。混同して狸のことを貉ということもあるらしい。
 そもそも貉を獲りに行くだろうか。この辺は作者が仕掛けた虚構ではなかろうか。そんな気がするのである。虚構である貉獲りに行って、人を化かすと言われる狸に会う。それがさらりと書かれているから可笑しいのだ。人生は喜劇である。貉を獲りに行って狸に会うようなものである、と言えないだろうか。誰でもがこのようなことをやっているに過ぎないと言えないだろうか。「同じ穴の貉」という言葉もある。


369/sikyoukokufuu 29

句集『詩經國風

八 風・七月周王朝創業期の歌で周南召南と同じ。周民族の祖先は陝西省の西北隅、けい水の上流、岐山を南にひかえた高原地帯で農事にいそしんでいた。そこをひんという。「七月」のうたはひん風七篇のうちの一篇で、周公がその頃を追懐してうたった農事暦のうた。
麦秋の夜は黒焦げ黒焦げあるな
昭和56〜60
1981〜1985
62歳〜66歳
鑑賞日
2005年
5/22

 〈そして、日本列島の東国秩父 二十一句〉と前書のある四句目

 意味を探ろうとしても分らない。が、色彩が鮮明で麦秋の黄色が印象的な句である。それもこれも「夜は黒焦げ黒焦げあるな」という奇妙な言葉の故である。呪文のような言い方、呪文だと言ってもいいだろう。俳句は呪文である、という見方もできる。


370/sikyoukokufuu 30

句集『詩經國風

八 風・七月周王朝創業期の歌で周南召南と同じ。周民族の祖先は陝西省の西北隅、けい水の上流、岐山を南にひかえた高原地帯で農事にいそしんでいた。そこをひんという。「七月」のうたはひん風七篇のうちの一篇で、周公がその頃を追懐してうたった農事暦のうた。
どどどどと蛍袋に蟻騒ぐぞ
昭和56〜60
1981〜1985
62歳〜66歳
鑑賞日
2005年
5/23

 〈そして、日本列島の東国秩父 二十一句〉と前書のある八句目

 オノマトペ(擬態語・擬声語)は言語以前の言語だと思っている。霊の言語だと言ってもいいし、肉体の言語だと言ってもいい。頭や感覚の言語よりもっと深く原初的なものである。だから、真のオノマトペは作為では作れない。それはやって来るものである。だからオノマトペが適切な句はもうそれだけで秀句だといっても良い。この句などはまさにそれである。どどどどと霊が、あるいは肉体が響いている。


371/sikyoukokufuu 31

句集『詩經國風

八 風・七月周王朝創業期の歌で周南召南と同じ。周民族の祖先は陝西省の西北隅、けい水の上流、岐山を南にひかえた高原地帯で農事にいそしんでいた。そこをひんという。「七月」のうたはひん風七篇のうちの一篇で、周公がその頃を追懐してうたった農事暦のうた。
果樹園に肉体じわじわずきずき老ゆ
昭和56〜60
1981〜1985
62歳〜66歳
鑑賞日
2005年
5/24

 〈そして、日本列島の東国秩父 二十一句〉と前書のある九句目

 この句もやはりオノマトペが魅力の句である。そして「果樹園がシャツ一枚の俺の孤島」(『金子兜太句集』)との比較で読むと更に面白い。この句は兜太四十一歳の時の句である。この句においても健康な肉体感はあるが、同時に精神の孤絶感もある(句の言葉を借りて孤島感といった方が適切であるが)。要するに肉体と精神の分離感がややあるのである。言い換えれば、大地(自然)と自我の分離感である。
 それに引き換えこの「・・じわじわずきずき・・」の方は健康な肉体感のみがある。じわじわずきずき老いるのも健康なことなのである。生老病死もマインドを通して見なければ自然なことであり、あえて健康なことなのだと言える。
 では、このじわじわずきずき老いる肉体を眺めているのは何か。あえて言えばそれは霊(意識)である。マインド(精神)ではなく。


372/sikyoukokufuu 32

句集『詩經國風

八 風・七月周王朝創業期の歌で周南召南と同じ。周民族の祖先は陝西省の西北隅、けい水の上流、岐山を南にひかえた高原地帯で農事にいそしんでいた。そこをひんという。「七月」のうたはひん風七篇のうちの一篇で、周公がその頃を追懐してうたった農事暦のうた。
晩夏光ソロの実落ちてひびくかな
昭和56〜60
1981〜1985
62歳〜66歳
鑑賞日
2005年
5/25

 〈そして、日本列島の東国秩父 二十一句〉と前書のある十二句目

 「ソロの実」というのがこの句の魅力の一つであるが、これは「シュロの実」であろうか。勘ぐってみれば、独奏者という意味のソロということが暗示されているのかもしれないなどと思う。それは、心(ひとりごころ)から情(ふたりごころ)を志向する作者の歩みということが私の脳裏にあるからである。そんなことをダブらせてこの句を読むとまた味わいが深まるような気がするのである。

 『詩経国風』の最後の部分であるこの章のこの前書のある句達には掲出句も含めて作者と自然が響き合っているような句が多く、取り上げないのは惜しい気がするのですこし並べてみたい

東にかくも透徹の月耕す音
木天蓼(またたび)初夏真蛇(まへび)さすらいやまぬかな
赤楝蛇(やまかがし)踊つていたる墳墓かな
歩みゆくや稲妻片片(へんぺん)と散りぬ
茜の上に星が一と粒山人(やまびと)よ
夕陽をなぜセキヨウと読む陰(ほと)洗う
真実の草の根沈み蛇は穴へ

 自然と響きあい歩いてゆく作者の姿が目に浮かぶ。そしてハッと目覚める時のような印象を持つ次の一句がくる。


373/sikyoukokufuu 33

句集『詩經國風

八 風・七月周王朝創業期の歌で周南召南と同じ。周民族の祖先は陝西省の西北隅、けい水の上流、岐山を南にひかえた高原地帯で農事にいそしんでいた。そこをひんという。「七月」のうたはひん風七篇のうちの一篇で、周公がその頃を追懐してうたった農事暦のうた。
狐火なり痛烈に糞が臭う
昭和56〜60
1981〜1985
62歳〜66歳
鑑賞日
2005年
5/26

 〈そして、日本列島の東国秩父 二十一句〉と前書のある二十一句目
 〈糞〉は[ふん]とルビ

 『詩経国風』の末尾の句として印象的な句である。いにしえの中国の詩に魅せられて、それを俳句にまでしようと思った作者。
 どんなに美しく心躍らせる物語でも、それは所詮夢のようなもの狐火のようなものだということを暗示してはいないだろうか、この句は。
 マインドが作りだす幻想から醒める時の一瞬のような味わいをこの句は持っている。
 夢から覚醒への過程のような味がある。
 くどいようだが、部分的に見ても

東にかくも透徹の月耕す音
木天蓼(またたび)初夏真蛇(まへび)さすらいやまぬかな
赤楝蛇(やまかがし)踊つていたる墳墓かな
歩みゆくや稲妻片片(へんぺん)と散りぬ
茜の上に星が一と粒山人(やまびと)よ
夕陽をなぜセキヨウと読む陰(ほと)洗う
真実の草の根沈み蛇は穴へ
狐火なり痛烈に糞が臭う

という流れは、夢そして、それから醒めた時の記憶を、私に呼び覚ましてくれる。

“われわれを夢見ている夢がある”  ブッシュマン

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