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金子兜太全句集鑑賞391〜402(『皆之』18〜29)
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句集『皆之』 |
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北風をゆけばなけなしの髪ぼうぼうす
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昭和56〜60
1981〜1985 62歳〜66歳 |
鑑賞日
2005年 6/16 |
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〈北風〉は[きた]とルビ 気取らない書き方で自分を客観的に見ているから、そこに可笑しみが出てくる。その人の中身に触れたような可笑しみと親しみがこの句にはある。根っ子が笑いを帯びる人間と悲しみを帯びる人間の二種類がいると思うが、この句などをみると兜太は笑いを帯びる人間に相違ないなどと思ってしまう。 |
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句集『皆之』 |
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砂漠かなコンサートホールにかなかな
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昭和56〜60
1981〜1985 62歳〜66歳 |
鑑賞日
2005年 6/17 |
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感覚だけの句でもこのくらい上質の味があると楽しめる。上等のワインを飲みながら上質のクラシック音楽でも聞いているような感じである。 |
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句集『皆之』 |
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寒椿おまんまおしんこおまんじゅう
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昭和56〜60
1981〜1985 62歳〜66歳 |
鑑賞日
2005年 6/18 |
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「・・おまんまおしんこおまんじゅう・・」、繰り返される日常のリズム。内容からも言い方からも、これは庶民の生活のリズムである。さっぱりしていて気取らない庶民生活のリズム。そしてそれはそれなりに豊かである。 |
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句集『皆之』 |
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働くがごとく働かざるごとく草青みたり
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昭和56〜60
1981〜1985 62歳〜66歳 |
鑑賞日
2005年 6/19 |
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〈中国旅吟・広州、桂林、漓江 二十三句〉と前書のある一句目 禅やタオの格言のようにもとれるような内容であるが、「草青みたり」があるので詩としても味わいがある。八・十・七というゆったりしたリズムそのものも内容に合っている。 金子兜太の長い句作の歴史をたどって鑑賞しているわけであるが、一時期の険しい山に登るような精神の飛躍の時を経て、今はだんだんと淡々と平地を歩いているような悟境にさしかかっているような気さえするる。 |
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句集『皆之』 |
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春の河州の家鴨の中にしやがんでいた
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昭和56〜60
1981〜1985 62歳〜66歳 |
鑑賞日
2005年 6/20 |
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〈中国旅吟・広州、桂林、漓江 二十三句〉と前書のある十一句目 旅をしているのであるが、一瞬、自分はずっとそこに居た、というような感覚である。忘我の時間があったことを暗示している。 |
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句集『皆之』 |
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咲き盛る不是大樹に手を振る旅
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昭和56〜60
1981〜1985 62歳〜66歳 |
鑑賞日
2005年 6/21 |
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〈中国旅吟・広州、桂林、漓江 二十三句〉と前書のある十五句目 「・・・旅」という書き方から、この中国の旅がこの句のような気分に満ちた旅だったのかと思った。そこに生息する生命への親近感、それらとの出会いと別れ。出会うというのは嬉しいことだし、別れもまた楽しいというような気分。この気分はある意味人生の達人に具わっているような気分でさえある。 |
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句集『皆之』 |
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れんぎように巨鯨の影の月日かな
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昭和56〜60
1981〜1985 62歳〜66歳 |
鑑賞日
2005年 6/22 |
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たっぷりとした感じの月日。その感じに共感もあり憧れもあり頂いた。このようなたっぷりとした日常感覚を抱きながら生きている人が同時代にいると思うと嬉しくなる。このこせこせとしたせわしない現代にである。 |
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句集『皆之』 |
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泰山木咲きつぎ死にゆくもの柔らか
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昭和56〜60
1981〜1985 62歳〜66歳 |
鑑賞日
2005年 6/23 |
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〈わが家の犬チャプ死す〉と前書 生きるということと死ぬということが、一つの大きな流れの違った現れに過ぎないという事を、この句は感じさせてくれる。生も死も存在の単なる相に過ぎない。単なる相であるが愛しい。その愛しいという情感を静かに抑えた心情の流れが、この句にはある。 |
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句集『皆之』 |
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青葦原汗だくだくの鼠と会う
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昭和56〜60
1981〜1985 62歳〜66歳 |
鑑賞日
2005年 6/24 |
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〈独吟六韻・青葦原〉と前書と前書のある二句目 「不思議の国のアリス」を連想させるような非日常空間である。 |
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句集『皆之』 |
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夏の山国母いてわれを与太と言う
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昭和56〜60
1981〜1985 62歳〜66歳 |
鑑賞日
2005年 6/25 |
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〈与太〉は[よた]とルビ 私の場合は、どちらかというと祖母の事が想われる。私の母は教師でもあり共産党員でもあったので、とても忙しい日々を送っていた。だから、子どもの頃の記憶では祖母が日常のいろいろな世話をしてくれていた。そのせいか、母はいつも優しかったし、祖母は私に愚痴をよくこぼした。要するに、自分がうんちやおしっこの世話をして育てた子どもはいつまでたっても自分にとってはガキに過ぎないわけである。 |
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句集『皆之』 |
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朝日に人山蛾いちめんながれゆく
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昭和56〜60
1981〜1985 62歳〜66歳 |
鑑賞日
2005年 6/26 |
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朝日の中に人が立っている。山蛾が一面に流れるように飛んでゆく。逆光のシルエットのような画面が美しい。 |
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句集『皆之』 |
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冬眠の蝮のほかは寝息なし
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昭和56〜60
1981〜1985 62歳〜66歳 |
鑑賞日
2005年 6/27 |
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静かだ。 静かさ、の深さでは芭蕉の「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」と同等である。芭蕉句が空間的であるのに対して兜太句は体感的、芭蕉句が涼なら兜太句は温といった違いはあるが、両句とも浸っていると同じ場所に私を連れていってくれる。瞑想の句であると言える。 |
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