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金子兜太全句集鑑賞471〜480(『東国抄』16〜25)
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句集『東国抄』 |
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冬草の茫茫たるを人は愛づる
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平成7〜平成12
1995~2000 76〜81歳 |
鑑賞日
2005年 9/8 |
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〈愛〉は[め]とルビ そう言われてみれば、冬草の茫茫たるを私も愛づるなあ、と思う。年のせいもあるのだろうか。いやそればかりとは言えない。その何も無さが良いのだ。例えば砂漠。例えば海原。これらを愛づる気持には共通するものがある。深い処で人間の郷愁を誘うのだ。人間はそもそも何もない処からやって来て、結局何もない処へ帰ってゆくのだから。
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句集『東国抄』 |
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俳縁の空気旨しと春あけぼの
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平成7〜平成12
1995~2000 76〜81歳 |
鑑賞日
2005年 9/9 |
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「俳縁の空気旨し」、確かにそうである。人と人との関係に於て、その間に俳句が挟まることによって旨い人間関係となる。俳句が挟まることによって、なあなあベタベタの関係にはならないし、同じ舟に乗っているからそこに親密感もある。 |
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句集『東国抄』 |
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里から来て山青しとす熊ん蜂
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平成7〜平成12
1995~2000 76〜81歳 |
鑑賞日
2005年 9/10 |
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この一句前に 連翹を走りぬけたる猪(しし)の震え というのがあって、どちらを取ろうか迷っている。どちらも同じ世界なのである。有名な「梅咲いて庭中に青鮫が来ている」に通じるアニメーションの世界である。とても質の良い映像の世界である。 |
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句集『東国抄』 |
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平成7〜平成12
1995~2000 76〜81歳 |
鑑賞日
2005年 9/11 |
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句集『東国抄』 |
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しんかんと春の渚に人の糞
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平成7〜平成12
1995~2000 76〜81歳 |
鑑賞日
2005年 9/12 |
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春の渚に人の糞がある。それを「しんかんと」という擬態語で捉えた感覚が面白い。面白いと言っても、それは作者の質から来ている言葉であるから真似のできることではない。 ・・・宇宙は分割され得ない一であるから、その各々の要素としての存在物に価値の優劣はない、と奥深いところで意識している人間が、この相対的な価値観で成り立っている世界を眺める時に、このような感覚が時たま起る。・・・というのが私の推論である。 |
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句集『東国抄』 |
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雨蛙退屈で死ぬことはない
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平成7〜平成12
1995~2000 76〜81歳 |
鑑賞日
2005年 9/13 |
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「ヨウヘイ」という猫を飼っている。メス猫で多分十二歳くらいだからお婆さんである。年を取ってからこの猫、やけに甘えん坊になってきた。家族の側に張り付いていることが多い。一番面倒なのは、餌を私にねだることである。餌を入れる皿にまだ餌が入っているのにニャーニャーとねだるのである。私が餌が無くなったのかなと思って猫と一緒に餌の皿の所まで行ってやると、そこで少し食べるのである。これが一日に何回もあったりする。要するに、私にかまってもらいたいのである。
しかし、考えてみれば、ヨウヘイだけではない。私自身も小さい頃の記憶として、母にしばしば「つまんないよう」と訴えていた記憶がある。この記憶は私の中でかなり鮮明なものなので、私の性格の特徴ではないかと思えるくらいである。母がその時にどのように答えてくれていたか忘れたが、かなり忙しい母だったので、適当にあしらわれていた可能性はある。そして多分にこの性格は現在も引きずっていて、常に何かをしていなくてはいられない私なのである。 この句、もしかしたら金子先生も私と同じような部分があって、「退屈で死ぬことはない」と自分に言い聞かせているような雰囲気を持っている。雨が降っている日はことに退屈な場面が多い。雨蛙を見ながら、あるいは自分を雨蛙に譬えて、そう言っている雰囲気がある。 |
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句集『東国抄』 |
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生きてあり越冬つばめ眼を閉じて
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平成7〜平成12
1995~2000 76〜81歳 |
鑑賞日
2005年 9/14 |
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しみじみとして、しかも運命に身を任せたようなさっぱり感のある良い句である。 しかしどこか演歌臭いと思って検索してみると、森昌子に「越冬つばめ」という曲があることが分った。私の頭の片隅にこの演歌のことがあったのかもしれない。この演歌の歌詞は次のようである。 越冬つばめ(作詞:石原信一/作曲:篠原義彦/編曲:竜崎孝路) 娘ざかりを無駄にするなと まことに演歌らしい現実離れした歌詞である。この演歌のことを思うと、その視点でこの句を考えてしまい、鑑賞の邪魔になってしまうのである。この演歌の発売は1994年6月であるから、もしかしたら金子先生も「越冬つばめ」という言葉をこの演歌から拝借したのではないかとも思える。掲出句から8句目に「北風のひゆーらひゆーらと愚禿なぶる」という句があるのであるが、この「ひゆーらひゆーら」という言葉もこの森昌子の演歌の「ヒュルリ ヒュルリララ」という言葉に似ているから、この句を作った頃に金子先生もこの演歌を耳にしていた可能性もある。 生きてあり越冬つばめ眼を閉じて を鑑賞すれば、これは見事に金子兜太の句であると言えるし、二句目などはむしろこの演歌を踏まえて鑑賞したほうが、よりおどけの味が加わって面白い。 |
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句集『東国抄』 |
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秋の花すべてが消えて初日かな
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平成7〜平成12
1995~2000 76〜81歳 |
鑑賞日
2005年 9/15 |
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「よく眠る夢の枯野が青むまで」とほぼ同じような心境を感ずる句である。とても好きである。 句は淡々とした流れるような悟境であるが、そこに仄かな色彩と香りと艶があり、とても品のある良い句である。 |
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句集『東国抄』 |
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第一級の寒波です能登の酒いかが
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平成7〜平成12
1995~2000 76〜81歳 |
鑑賞日
2005年 9/16 |
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〈悼杉森久英先生 三句〉と前書のある三句目 句には書かれていないが、私には墓石を前にして酒をその墓に供えている作者の姿と、作者の親しみのある眼差しを感じる。厳しい寒さではあるが、どこか明るくて清い光を感じるのは杉森久英氏という人物像の反映なのだろうか。「・・です能登の酒いかが」という言い方に杉森久英氏に対する作者の共感と親しみのある尊敬の気持が出ていて心和むものがある。 空つ風痩身の師の飄とありき |
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句集『東国抄』 |
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白梅散り牛山を行き一と日経る
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平成7〜平成12
1995~2000 76〜81歳 |
鑑賞日
2005年 9/17〜19 |
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〈経〉は[へ]とルビ この時間の流れのゆったりとした感じがとても好きである。白梅散り、牛山を行き、一と日経る、と全て動詞形で書かれている中に、どこか桃源郷の時間の流れを思わせるものがある。 白梅や老子無心の旅に住む と並べて眺めているだけで楽しい。 9月18日 老子はその長い生涯に於て、教えを文章にすることはなかった。しかし彼がこの歴史から姿を消す最後の時に、彼は歴史的にはこの世の何処へともなく消えたのであるがその前に、関所の関守の懇願によって『老子』すなわち『道徳経』一巻を書いて、何処へともなく立去った。
9月19日 |
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