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金子兜太全句鑑賞51〜60 (『生長』51〜60)


51/seichou-51

句集『生長-東京時代ー

純粋に生き生きぬかむ秋袷
作句年
昭和18年
1943年
年齢
24才
鑑賞日
2004年
4月28日
 〈袷〉は「あわせ」と読み、裏地の付いた着物のこと

 「純粋に生き生きぬかむ」で頂いた。こういう言葉を見たり聞いたりすると目が喜び耳が和らぎ心が嬉しくなる。
 これは単純なようで難しい。難しい故に今はなかなか耳にすることがない。どこか斜に構えて策略をもって生きていかないと生きがたい世である。生きて行く上でこういう心意気を持った人にたくさん出会いたいものである。
 作者は秋になって涼しくなり袷を着るという日常のしぐさの中で、このように再び思ったのであろう。
 蛇足だが今日は私の誕生日、誕生日にこのような言葉に出会えてよかった。


52/seichou-52

句集『生長-東京時代ー

いわし雲もろこし僅か丘のへり
作句年
昭和18年
1943年
年齢
24才
鑑賞日
2004年
4月29日
 〈入隊を前に父と南総に遊ぶ・十七句〉と前書のある句の二句目

 さっぱりとした大きな風景句である。「もろこし僅か丘のへり」という何でもない些細な景色を捉えて、いやむしろ些細な景色だけに、ああこんな風景を見たことがあるなあという追憶が私の中にも蘇って来る。兜太にはこのような単純な風景句は少ないのではと思うが、入隊すなわち戦地に行くという事柄を前にして、見えてくる全ての景色が感慨深く目に映ってくるということではないだろうか。


53/seichou-53

句集『生長-東京時代ー

裸か身に寝れば濤音床ひたす
作句年
昭和18年
1943年
年齢
24才
鑑賞日
2004年
4月30日
 〈入隊を前に父と南総に遊ぶ・十七句〉と前書のある句の五句目 /〈濤〉は「なみ」

 前書が無いと何でもない句なのだが、前書と合わせて読むと、生きてあることの愛おしさのようなものがひしひしと伝わってくる。この裸か身、この床、この濤音、この平凡な物事全てが価値あることなのだ。
 人間は精一杯生きなければならないが、常に「自分は死の隣」という意識を持つことがこの人生を愛おしく豊かにしてくれる。
 この句などを読むと前書の効果というものを考えざるを得ない。


54/seichou-54

句集『生長-東京時代ー

蟹に跼む洋のひかりを背に浴びて
作句年
昭和18年
1943年
年齢
24才
鑑賞日
2004年
5月1日
 入隊を前に父と南総に遊ぶ・十七句〉と前書のある句の十三句目 /〈跼む〉は「かがむ」・〈洋〉は「うみ」と読みたい

 この句もそうだし、次の次の句「吾が影に舟虫騒ぐいわし雲」などもそうだが、自然の中の人間、あるいは自然としての人間が気負いなく描かれていて気持ちがいい。
 この「気負いなく書く」ということが難しいということは俳句を書いている人には分ると思う。気負いなく書くということを意識すれば単なる「ただ事俳句」になりやすいし、気負って書けば気負った俳句になるからである。
 この句、入隊という大事を前にしたひとときの「仕合せの時間」を感じる。


55/seichou-55

句集『生長-東京時代ー

秋の灯に溢れし友よ今ぞ征かむ
作句年
昭和18年
1943年
年齢
24才
鑑賞日
2004年
5月2日
 〈入隊を前に「寒雷」誌諸兄と奥秩父に遊ぶ・六句〉と前書のある句の一句目 

 50番の「かまつかに吾れくろぐろと征かむとす」と大分違って張りのある決意である。50番は独白でありこの句は友に呼びかけた句であるから、その違いである。明るく言い放ったのである。この時代の出征する人達に共通の気分なのかどうかは私には分らないが、言えることは、兜太は強きをくじき弱きを助け辛さや苦しさは表に出さないで明るく振る舞うというような古き良き日本男児の典型のような益荒男であるということである。こういうタイプの詩人はめずらしいのではなかろうか。


56/seichou-56

句集『生長-東京時代ー

曼珠沙華峯にかたまり曇り濃し
作句年
昭和18年
1943年
年齢
24才
鑑賞日
2004年
5月3日
 〈入隊を前に「寒雷」誌諸兄と奥秩父に遊ぶ・六句〉と前書のある句の五句目 

 時間が止まったような風景である。たとえば昔のスナップ写真を見るような。人気はないが淋しいということもない。ある懐かしさのようなものもある。
 もしかしたら二度と見ることのない風景である。表面的な感情ではなく、無意識のところで把握した一枚のスナップ写真ということではなかろうか。


57/seichou-57

句集『生長-東京時代ー

秋雲の頭にも流れて吾は征く
作句年
昭和18年
1943年
年齢
24才
鑑賞日
2004年
5月4日
 一つ前の句に〈吾がゆくや秋雲屯す四方の山〉とある。「周りの山々には秋の雲が集まっている。その中を私は出征するのだ」という、これを受けてさらに掲出句では「秋雲は私の頭にも流れてくる、その雲とともに私は出征するのだ」となり、自分の出征がより自然と共に有る、自然に祝福されているという感じが強く出ている。自分は行くんだという決意ではなく、もうすでに流れ出している感じ。
 兜太は「定住漂泊」という事を後年言うが、ここではその漂泊に身を任せた気持ちの良さが出ている。なお〈秋雲〉は「しゅううん」と読みたい、その方が流れる感じがある。
 この出征前の一連の句を読んでいると、兜太の水の流れるような柔軟性というか運命への愛というかそんなものを感じている。時に逡巡し時に停滞するが結局は大きな流れに身を任せる事を楽しめるのである。
 少し大げさな例を言えば、たとえばキリストがゴルゴダの丘に十字架を背負って登って行ったのも彼の運命への愛である。そして実際に処刑される時に「主よどうして私をお見捨てになったのですか」という逡巡があるが、結局「主よ彼等を許したまえ、彼等には自分達のやっている事が分らないのです」と流れてゆくのである。
 もう少し穏やかな言い方をすれば「老子無心の旅に住む」ということである。

58/seichou-58

句集『生長
-海軍経理学校ー

穂草まさぐる海に死すべき心たぎち
s18/9〜S19/3
(1943〜1944)
24歳
鑑賞日
2004年
5月5日
 「案ずるより産むが易し」というが、この案じている間が何とも切なく落ち着かない。まさに「穂草まさぐる」心境である。
 ある人が言った「死への恐れというのは、死の恐れへの恐れである」と。核心をついた言葉である。死そのものは恐いものではない。ましてや多くの人は死という現実に直面したことがないのだから、死が恐いなどとは言えない。人生において最大の未知は死である、この大いなる未知への不安がいわゆる死の恐怖と言われるものなのである。
 この辺りのことは私も分っているし覚悟も持っているつもりであるが、案ずる心が無くなっているのではない。例えば、死などという大きなことではなく、明日病院で検診を受けるが悪い結果だったらどうしようとか、今年はジャガイモを早蒔きしてしまったがちゃんと芽がでてくれなかったらどうしようとか、様々な不安とともに生きているのが現状なのである。生身の人間の面白いところである。
 この句もそのあたりの人間の心理が描かれていると思うが、この作者らしく「不安」などという消極的な出方ではなく「穂草まさぐる海に死すべき心たぎち」という積極的な出方をしているところが男らしい。

59/seichou-59

句集『生長
-海軍経理学校ー

冬山を父母がそびらに置きて征く
s18/9〜S19/3
(1943〜1944)
24歳
鑑賞日
2004年
5月6日
 意味は「冬山を父母の背中に置いて出征する」という意味である。
 「征く」とか「征かむ」という句をいくつか見てきたが、それぞれ違った思いが込められている。
 この句は単純なようで重層的な意味を含んだ厚い句である。「冬山」がいろいろな象徴性を帯び得るからである。
 まず「冬山」をこの厳しい時代の象徴と取れば「この厳しい時代に父と母を残して私は出征することになってしまいました。その無念さがあります」という意味。
 「冬山」を産土(自分を産み育ててくれた土地)の象徴と取れば「私は出征しますが、私の過去の全てとも言えるこの土地を父よ母よあなた方にお任せします。どうぞこの土地とともに長生きして下さい」という具合になる。そしてこの場合、産土と父母との一体感は強く、自分を育んだ全てのものに対する別れの言葉という感じが出ている。しかも、冬山(産土)は父母を守だろうし父母はまた冬山(産土)を守るだろうということを自分に納得させたいような雰囲気も感じる。

60/seichou-60

句集『生長
-トラック島ー

星座を分け敵機近づく海にぶし
s19/3/17〜
S21/11/28
(1944〜1946)
24歳〜27歳
鑑賞日
2004年
5月7日
 トラック島と題された句群の二句目である。つまり戦場である。この句群は日記風に書き留められた句が多い。しっかり作ったものは『少年』のほうに納められているのだろう。しかし大好きな句もあるのである。
 この句、傍観者にとっては美しい情景である。人間は起こっている事の中で活動や対応している自分と、その事の全体を眺めている自分がいる。この眺めている自分を失わないことが作家やジャーナリストには必要なのであるし、また作家やジャーナリストでなくても大切なことなのである。兜太はこの戦場でこの目を失わないでいつづけけたに違いない。
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