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金子兜太全句集鑑賞651〜660( 句集後 113〜122)
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句集後 |
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正月や形骸尽きても命生く
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「海程」の発行
平成17年12月 (2005)86歳 |
鑑賞日
2006年 3/30 |
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〈死は虚妄である〉というメッセージを伝えたいという願望が私にはある。〈死は虚妄である〉、だから怖れないで死に見入るべきである。死に見入らなければ〈死は虚妄である〉ということは解らない。 さて「形骸尽きても命生く」というのが結論であるが、この言葉の真意は殆ど誰にも解らないというのが現状である。 |
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句集後 |
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雑煮食ぶ暦年齢は虚なり
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「海程」の発行
平成18年1月 (2006)87歳 |
鑑賞日
2006年 3/31 |
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〈食〉は[た]、〈暦年齢〉は[こよみねんれい]とルビ 金子先生御年八十六歳《注・・・この鑑賞では年齢は年に合わせて簡単に計算している。実際は九月二十三日生れであるから八十六歳である》。まことに暦年齢は虚であると言わざるを得ない。気力充実して若々しい。詩人は嘘をつかない、「形骸尽きても命生き」そして「暦年齢は虚」である。詩とは表面的事実と普遍的事実の掛け橋の言葉である。私は昨日の句も今日の句も普遍的事実として受け取っている。 |
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句集後 |
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みな貧しく鶴渡りしと祖父の話
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「海程」の発行
平成18年1月 (2006)87歳 |
鑑賞日
2006年 4/2 |
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「みな」というのがいい。貧しいというのがいいのではない。できれば「みな豊かで」というのがいい。これは句について言っているのではなく、現在の世の中を見て言っているのである。 菊作る大き麦藁帽の祖父 『生長』 みな、祖父への懐しさとその先に見える時代への郷愁のようなものを感じる。 |
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句集後 |
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蝉宇宙すべて夕星となる気配
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「海程」の発行
平成18年1月 (2006)87歳 |
鑑賞日
2006年 4/3 |
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〈夕星〉は[ゆうずつ]とルビ きれいな句である。「夕星」を[ゆうずつ]と読ませるというのがまた美しい。「海程」418号・419号から同じような雰囲気の句を並べてみる 陽がさせばまた蝉の声山の民 すべて自然との深い交感の中にある山国の人々の生の一かけらである。夢見夢見られているようだ。 |
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句集後 |
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冬紅葉新枯れやすししかし新
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「海程」の発行
平成18年2月 (2006)87歳 |
鑑賞日
2006年 4/4 |
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〈新〉は[しん]とルビ 句の内容と言葉の響きが「冬紅葉」にぴったりと合っている感じである。 |
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句集後 |
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去年今年国会議事堂に餓鬼ども
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「海程」の発行
平成18年2月 (2006)87歳 |
鑑賞日
2006年 4/5 |
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〈餓鬼〉は[チルドレン]とルビ 俳句としては粗っぽいが、内容に共感するので頂いた。 |
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句集後 |
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春の庭亡妻正座して在りぬ
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「海程」の発行
平成18年6月 (2006)87歳 |
鑑賞日
2007年 5/17 |
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〈金子皆子逝く 七句〉と前書のある一句目 かつて存在していたものが存在しなくなることはない。そうでなければ存在とは言わない。かつて愛していた愛が失われることはない。そうでなければ愛とは言わない。そういうことを作者は深い所で言いたいと思っている気がするのである。「在りぬ」という言葉に私はそれを感じるのである。また妻の側からすれば「正座して在りぬ」という事が、そのような厳粛な事実を伝えようとしている姿勢に見える。 |
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句集後 |
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花を恋い楷を愛して春を眠る
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「海程」の発行
平成18年6月 (2006)87歳 |
鑑賞日
2007年 5/18 |
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〈金子皆子逝く 七句〉と前書のある二句目 死後観というのはいろいろある。天国に召される。浄土に旅する。最近では「千の風」になる等々・・。残された者の心が慰めを得る為のさまざまな詩的想像力の賜物である。そしてそのどれもに共通するのは「不滅だ」という思想である。「本質に死というものは無い」という思想である。詩人兜太は、皆子夫人の死について「花を恋い楷を愛して春を眠る」と表現した。一つの美しい想像である。 |
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句集後 |
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榠
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「海程」の発行
平成18年6月 (2006)87歳 |
鑑賞日
2007年 5/19 |
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〈金子皆子逝く 七句〉と前書のある三句目 昨日の句よりもっとはっきりと一つの死後観が描き出されている。妻の霊、あるいは妻の精、あるいは妻の本質は自然の中に溶け込んで行くというのである。榠 |
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句集後 |
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どれも妻の木くろもじ山茱萸山帽子
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「海程」の発行
平成18年6月 (2006)87歳 |
鑑賞日
2007年 5/20 |
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〈金子皆子逝く 七句〉と前書のある四句目 愛は不滅である、とよく言われる。あるものとの間に愛が起ったときに、その愛は失われることはないということである。愛は同化であり、そのものの本質と一体となるということである。さらに言えば、あらゆるものの本質は一つである。世界の本質、存在の本質は一つである。故に、真の愛が起ったときには世界の本質、存在の本質と一体となる。存在の本質は不滅であるゆえに、愛は不滅である。 どれも妻の木くろもじ山茱萸山帽子 くろもじ山茱萸山帽子を愛した妻がくろもじ山茱萸山帽子の中に宿っている。・・・自然の中に存在の中に宿っている。 |
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