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金子兜太全句集鑑賞721〜730( 句集後 183〜192)
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句集後 |
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山芋掘る足下はるばる遍路道
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「海程」の発行
平成19年11月 (2007)88歳 |
鑑賞日
2007年 11/7 |
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定住と漂泊、あるいは定住と旅、この二つのことが人生に於て上手く織りなしているということがその人の人生がバランスを保つ一つの要素であるような気がする。実際に体を運ぶ旅というのが望ましい気がするが、そうでなくても心理的な旅でもかまわない。また更に大きく、人生は旅であるという概念を抱ければそれに越したことはないだろう。私は百姓であるから殆ど土地にへばりついて生きているが、心理的には土着しているという意識はない。私の生活している場所には遍路道のようなあるいは街道のようなものは無いが、単なる村道のような道を見ても、それが「道」である、自分が生活している場所から全く未知の場所へ通じる「道」であると意識することは多々ある。 |
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句集後 |
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囲を張りて蜘蛛の元気や誕生日
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「海程」の発行
平成19年12月 (2007)88歳 |
鑑賞日
2007年 12/1 |
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咄嗟に虚子の「蜘蛛に生れ網をかけねばならぬかな」という句を思い出した。俳句の宗匠という職業あるいは在り方は、蜘蛛が囲を張って獲物を待っているというような心持ちがするのではないかと思うからである。自分の主宰誌であるとか、俳句に関する考え方であるとか、選句する力だとか、作句する詩精神だとかを、あたかも蜘蛛が糸を張り巡らすように仕掛けておいて、俳句という形の詩あるいは俳人という形の人々が引っ掛かって来るのを待っている。実に楽しそうな職業であることは間違いない。しかし覚悟もいるだろう。自分が常に俳句という詩の糸を紡ぎ続ける元気を保つという覚悟である。そんなことを考えながらこの兜太句を読んでいるのであるが、実際に蜘蛛が囲を張って眼の前にいるのが見えてくる。それもでかい地震蜘蛛のような元気のいい奴である。 |
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句集後 |
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月の客白曼珠沙華老梅樹下
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「海程」の発行
平成19年12月 (2007)88歳 |
鑑賞日
2007年 12/2 |
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名月の夜、老梅樹下に白曼珠沙華と月の客が居る。または白曼珠沙華そのものが月の客である。いずれにしろ月の光に照された幻想的な雰囲気を持つ景色である。 |
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句集後 |
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山芋掘る麓に牛や豚遊ぶ
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「海程」の発行
平成19年12月 (2007)88歳 |
鑑賞日
2007年 12/3 |
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のんびりとした山村の風景といったところ。人間が山芋を掘っている。その麓では牛や豚が遊んでいる。同じことですよ、と作者は言いたいのではなかろうか。そんな気がする。 |
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句集後 |
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母若しすがる少年は白露
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「海程」の発行
平成19年12月 (2007)88歳 |
鑑賞日
2007年 12/4 |
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時たまこのような感じの母子を見ることがある。この句以上の形容はできないが、若く清楚な気に溢れた母、そしてこの母の感じと対のような気の子供。二人で戯れているようにさえ見えるほほ笑ましい光景であるが、そこにはやはりそれぞれ母子という役目がある。事の全体が青い草とその葉にすがる白露のようである。このような母子を見るとこちらも生きるのが楽しくなる。 |
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句集後 |
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殺意なしと人殺すなり昼の虫
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「海程」の発行
平成19年12月 (2007)88歳 |
鑑賞日
2007年 12/5 |
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「昼の虫」というものの持つ白けて少し空しいような響きが句の内容に相応しい気がする。・・・と書いたが、この「昼の虫」というものの響きが白けて少し空しいような響きであるというのは、実は逆に句を読んでからそう思ったのである。私の経験を思い出してみて、昼の虫の音を聞いて白けて少し空しいような感じを持ったことはなかったような気がするが、この句を読んで、「昼の虫」にはそういう感じがあるなあと思ったのである。 |
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句集後 |
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尿意怺えて孤のときもあり晩夏光
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「海程」の発行
平成19年12月 (2007)88歳 |
鑑賞日
2007年 12/6 |
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そういうこともあるだろうなあと思い。心理的な事実だろうなあとも思い。晩夏光という極まった感じの光がこういう心理状態に似ていなくもないなあと思い。事の全体を俳諧的に見ているなあと思い。俳諧的とは覚醒ということでもあるなあと思う。 |
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句集後 |
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時雨の音に勝る川音と暮す
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「海程」の発行
平成19年12月 (2007)88歳 |
鑑賞日
2007年 12/7 |
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意表を突くものがある。「時雨の音」というものがそれ程快いとは思わなかった。むしろ寒々しい冬の到来を予感させる嫌な感じを伴う。その「時雨の音」が良いものだというのが当たり前だという前提で書いているというのがこの句の面白さであり、また俳諧的である。 |
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句集後 |
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新月に浴後の躯一つ曝す
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「海程」の発行
平成20年1月 (2008)89歳 |
鑑賞日
2008年 1/1 |
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新月も一つ、わが躯も一つ、そこには何の隠されたものもなく、ただあからさまにそう在るだけである。 |
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句集後 |
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月白の麻痺の癒えゆく顔にかな
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「海程」の発行
平成20年1月 (2008)89歳 |
鑑賞日
2008年 1/2 |
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「月白」のこれから月が上ってくるといううす明るい状態の光が、「麻痺の癒えゆく顔」に当っているというのが、合っている。月そのものではなく月白の微妙な感じである。何か緊張が少しずつ解けて、明るい方に向ってゆくという感じである。ほっとした感じに読者を誘い込む。 |
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