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金子兜太全句集鑑賞791〜800( 句集後 253〜262)
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句集後 |
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雁に真葛刈られて岩ばかり
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「海程」の発行
平成20年12月 (2008)89歳 |
鑑賞日
2008年 12/2 |
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〈雁〉は[かりがね]とルビ 葛の繁殖力はすごい。岩でも何でも覆うように生える。そのような場所が、ある時刈られていて岩が露出している、岩ばかりである。さっぱりしているが、何だかもの足りない空虚な感じもあるなあ。どうしたのだろう、誰が刈ったのだろう。そういえば今は雁の渡る季節であるなあ。もしかしたら雁達がここの葛を刈っていってしまったのかもしれない。おとぎ話みたいなことだなあ。 |
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句集後 |
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通草笑む牛笑うごときかな
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「海程」の発行
平成20年12月 (2008)89歳 |
鑑賞日
2008年 12/3 |
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「通草笑む」は通草の実がぱっくりと口を開けた状態だろう。それは〈栗笑む〉という言葉からの連想であるが、それが牛が口を開けて笑っている状態に似ているというのである。その形が牛の口に似ているということもあるのだろうが、なによりもその雰囲気が似ていると作者は感じたのではないだろうか。自然児兜太の感性である。 |
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句集後 |
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赤ん坊山法師には代赭の実
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「海程」の発行
平成20年12月 (2008)89歳 |
鑑賞日
2008年 12/4 |
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「代赭」とは代赭石を原料にした赤色系の顔料のことで、色の名前でもある。
山法師の実はほぼ代赭色をしている。
この山法師の実のことを詠んだものであろう。赤ん坊という連想。 |
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句集後 |
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縁ありてわが枕頭に兜虫
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「海程」の発行
平成20年12月 (2008)89歳 |
鑑賞日
2008年 12/5 |
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「兜虫」兜太という連想による戯けである。何度も言っている気がするが、この人の動物の句は動物と同じ目線で書いているという雰囲気がある。動物も自分も一つのいのちの現われであるというものが根底にある気がするのである。 |
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句集後 |
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最澄作薬師如来に木の葉髪
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「海程」の発行
平成20年12月 (2008)89歳 |
鑑賞日
2008年 12/6 |
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〈比叡山にて 三句〉と前書きのある1句目 何と言ったらいいだろう。洒脱な世界である。最澄といったって、仏といったって、それは生身の人間であり、厳めしく遠い処に鎮座まします存在ではない。飯も食うだろうし、うんこもするだろうし、木の葉髪だってあるだろう。また逆にわれわれ凡夫が仏ではないということもない。気持ちがすーっと明るくなるような雰囲気の句である。 |
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句集後 |
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回峰修験鹿の影湖影のなかに
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「海程」の発行
平成20年12月 (2008)89歳 |
鑑賞日
2008年 12/7 |
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〈比叡山にて 三句〉と前書きのある2句目 「鹿の影湖影のなかに」という美しい映像と「回峰修験」という荒行の二物衝撃。「回峰修験」があるから「鹿の影湖影のなかに」の美しさが引き立つ。またあるがままの自然と果てしない業を持った人間の対比でもある。穿った見方をすれば、回峰修験というような荒行苦行をしている人間の欲望(欲を落したいというのも欲望である)は、実体ではなくて湖影の中の鹿の影を追っかけているようなものだ、というような寓意もありそうである。 |
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句集後 |
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俳句仲間も僧侶も歩く鹿の山
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「海程」の発行
平成20年12月 (2008)89歳 |
鑑賞日
2008年 12/8 |
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〈比叡山にて 三句〉と前書きのある3句目 一つの恵まれた風景であろう。仲間がいる。共通の目指すものがある仲間。理想的には俳句仲間も僧侶もそうであるに違いない。それが形式的で表面的で形骸化してしまう可能性もあるかもしれないが、金子兜太がいる限りにおいては、その俳句の仲間にはその純な理想が保たれるだろう。僧侶の世界に関しては知らないが、そういう理想が保たれているとして、俳句仲間も僧侶も歩く鹿の山、という風景は祝福されている。 |
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句集後 |
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粋がつて生きております笑初
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「海程」の発行
平成21年1月 (2009)90歳 |
鑑賞日
2009年 1/1 |
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金子先生は今年の九月二十三日で九十歳になられる。とても元気であると聞く。例えば俳優などで歳を取ってもとても艶があり若々しい人がいる。俳優などは常に他人に見られる職業であるし、また創造的な仕事でもある。この二つの要素が私は人を若々しくて艶のある状態に置くのではないかと思っている。言い換えれば創造的でありまた社会性があるという二つの要素である。くだけて謙遜した言い方をすれば、粋がって生きるということである。元気に長生きしていただきたいものである。 |
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句集後 |
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寒喰と土竜打して加齢かな
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「海程」の発行
平成21年1月 (2009)90歳 |
鑑賞日
2009年 1/2 |
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「寒喰」も「土竜打」もこの飽食の現代には実感のない季語である。作者は来し方のことを思って書いているのだろうか。寒喰がしたくなるくらいの素朴な食事を普段していることや、土竜打を実感をこめて行うくらいの食物に対する感謝の念があれば、それは当然充実した加齢ということに繋がるのではないだろうか。 |
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句集後 |
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両眼にときどき鴉声実千両
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「海程」の発行
平成21年1月 (2009)90歳 |
鑑賞日
2009年 1/3 |
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意識が極度に集中するといろいろな感覚がオーバーラップしてくることがある。音を眼で見たり、逆に形や色から音が聞えたりするのもその一つである。観音菩薩というのはそういう力を具現した状態であると何かの書物で読んだことがある。この句は鮮やかな赤い千両の実の感じとも相俟って、とても研ぎ澄まされた感覚を感じる。くらくらする感じさえ起る。
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