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金子兜太全句集鑑賞補遺71〜80

鑑賞補遺 71

句集『少年二部
-福島にてー

乏しき金に菓子買うことも冬の所作
昭和26〜28
(1951〜1953)
32歳〜34歳
鑑賞日
2006年
7月25日
 このように何でもない日常の一場面を書いていくというのも私の課題の一つである。〈日常の詩〉あるいは〈日常が詩〉ということであろうか。こういうことがもともと俳諧のこころであるような気がする。それにしても「乏しき金で」ではなく「乏しき金に」であることが何とも上手い。「所作」などという言葉も私には出てこないかもしれない。私がやれば「乏しき金で菓子買うことも冬の動作」などとなってしまう可能性がある。これでは詩情が流れない。

鑑賞補遺 72

句集『少年二部
-福島にてー

ほこりつぽい抒情とか灯を積む彼方の街
昭和26〜28
(1951〜1953)
32歳〜34歳
鑑賞日
2006年
7月26日
 夕暮れ時、灯がだんだんと増えていく遠景の街を望んでの感慨であろうか。「ほこりっぽい抒情」とか「灯を積む」という表現に感じが出ている。そして「・・とか」という言い方に、この時の生活に心底馴染み切っていない作者の呟きのようなものを感じるのであるが、いかがであろうか。先頃亡くなられた皆子夫人が兜太に「あなたは自然の中に住まないと駄目になる」というような意味のことを言ったと聞くが、そんなことが思い出される。

鑑賞補遺 73

句集『少年二部
-福島にてー

五月の草に囲まれあくまで野の肥壺
昭和26〜28
(1951〜1953)
32歳〜34歳
鑑賞日
2006年
7月27日
 「あくまで」という言葉がこの句を成り立たせている気がする。「野の肥壺」と自分との関係が強調される。「俺は野の肥壺のようなもんだ」と言っている気さえする。
 存在するあらゆるものに親しみや詩情を感じて表現する。これが俳諧の精神であると最近少し解ってきた。ますます俳句が好きになる考え方である。そこには世界を一元的にとらえるという態度があるからである。連歌から俳諧が起こったのもそのようなエネルギーの方向であったと思うし、またこの方向をさらにぐいと進めたのが金子兜太なのではないかと思う。「野の肥壺」のようなものにこれだけ親しみを得て書ける作家は他にいないのではないか。

鑑賞補遺 74

句集『少年二部
-福島にてー

ガラスの破片日向の欠伸はひ弱な児
昭和26〜28
(1951〜1953)
32歳〜34歳
鑑賞日
2006年
7月28日
 日向にガラスの破片が落ちていてひ弱そうな子供が欠伸をしているという景色。よくありそうな場面であるが、それぞれの要素に微妙に響くものがある。全体的には日向で欠伸をしているひ弱な児への眼差しであるが、この「ガラスの破片」というものの存在が何か心理的な傷、あるいは予感を暗示しているような気がする。

鑑賞補遺 75

句集『少年二部
-福島にてー

コツプかざす夕焼の馬来る空へ
昭和26〜28
(1951〜1953)
32歳〜34歳
鑑賞日
2006年
7月29日
 心理的な光と影の混じった日常の所作。そして作者の方向性というものが「馬来る空」へコップをかざすという言葉に感じられる。全体に〈希望〉というような言葉がぴったりするような抒情を感じる。

鑑賞補遺 76

句集『少年二部
-福島にてー

星が出て雑多な歌謡の炎日閉ず
昭和26〜28
(1951〜1953)
32歳〜34歳
鑑賞日
2006年
7月30日
 星が出る夜になって雑多な歌謡の炎日が終りほっとしている雰囲気もあるが、それよりも何よりも日常の生の全体を客観的に眺めている雰囲気が好ましい。

鑑賞補遺 77

句集『少年二部
-福島にてー

人等集り血を曳く犬を見過す夏
昭和26〜28
(1951〜1953)
32歳〜34歳
鑑賞日
2006年
7月31日
 “皮肉”であるが、それさえも客観的に坦々とした語り口であり、内容そのものよりもその非感情的な態度が好ましい。

鑑賞補遺 78

句集『少年二部
-福島にてー

木の実と共に寝不足の妻の肌明らむ
昭和26〜28
(1951〜1953)
32歳〜34歳
鑑賞日
2006年
8月1日
 〈明〉は[あか]とルビ

 生そのもののエロスがじんわりと滲み出しているような味の句である。


鑑賞補遺 79

句集『少年二部
-福島にてー

鉄塔は巨人蟷螂は地の誇り
昭和26〜28
(1951〜1953)
32歳〜34歳
鑑賞日
2006年
8月2日
 感情や感覚に訴えてくるという句ではない。強いて言えば平衡感覚のようなものに訴えてくる。構成がしっかりしているとも言える。それから物事を全体的に把握している大きさがある。作者は「社会性は態度の問題」と言ったが、その態度のようなものがじんわりと伝わってくる感じさえする。取っ付きにくい句であるが読んでいるとだんだんと味が出てくるというタイプの句である。

鑑賞補遺 80

句集『少年二部
-福島にてー

木階登る化学労働者等いわし雲
昭和26〜28
(1951〜1953)
32歳〜34歳
鑑賞日
2006年
8月3日
 「木階」をどう読むのか迷ったが一応[もくかい]と読んでおく。
 日常の何でもない風景の中の抒情である。こういう書き方にあこがれを持っている。手本にしたい書き方である。
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